司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈誤診・誤審をする医師・裁判官〉

 

 「何人だか、何十人だか、患者を殺さなければ、一人前の医師にはなれない」などという物騒な話を耳にしたことがあります。医師のことについては、門外漢の私には実態は分かりませんが、裁判官に関しては、「経験不足の判決だ」と思うことは、数限りなくありました。この判決も、そのような判決の一つです。

 

 これまで、このような判決に数多く出会い、その不満が昂じて、判決を批判する本まで出しました。農家が農協に対し、債務がないことを確認してほしいと依頼され、裁判を起こし、敗訴した裁判に関しては、裁判官が農家と農協の取引の実態を知らないからだという農家の気持ちを代弁して書いた「農家と農協」シリーズ、患者が医師や病院に対し、医療過誤による損害賠償請求をした裁判においては、裁判官が、医療に関する勉強不足を立証責任論という法律理論を使い、患者側にその責任を押し付けて、患者側を敗訴させるというやり方で片付けている医療過誤裁判に対し、患者の気持ちを代弁して書いた「医療過誤裁判」シリーズなど多くの本があります。

 

 いずれの本も未熟なものであり、説得力がありません。そのことは自覚していたのですが、書かずにはいられませんでした。この判決に対しても、書かずにはいられません。こんな判決を出されたら、黙ってはいられません。まだ、十分には検討していませんが、控訴期限がありますので、急いでこの文章を書いています。完熟してから出すべきなのでしょうが、いつも完熟には至らないで、見切り発車となってしまいます。いろいろ言い訳はありますが、結局は能力不足ということになるのだと思います。

 

 遊ぶこともしないで、他人との交流も避け、勉強に専念し、偏差値を上げ、一流高校、一流大学、医師試験・司法試験にストレートで合格したことは立派ですが、知識つまり知っているということと、論理つまり意見や考え方の筋道だけを重視し、経験や世間の常識や一般通常人の感覚が欠如しているため、健全な推定則が働かず、まだエリート意識が抜けきれない若い医師や若い裁判官がいることは否定できません。

 

 このような医師や裁判官が、ときに誤診や誤審をするのです。医師は人の命や体を、裁判官は人の権利や自由を、診断したり、審判するのですから、その立場を自覚し、責任感を持たなければならないことは、今更、言うまでもありません。その責任の重さを若い医師や裁判官に自覚してほしいのです。そのためには、経験が必要であること、世間を知ること、人間を知ることが不可欠です。他人の気持ちを推し量る努力がほしいのです。

 

 浅学非才の身であることは自覚しています。見当違いのことを言っているのではないか、という不安もあります。ですが、私の印象で正直に述べておきたいのです。それも長い間、弁護士として生活させてもった者の社会に対する恩返しの真似事になるのではないかという気がするのです。

 

 

 〈経験則・推定則無視の常識から乖離した審判〉

 

 このような経験不足の医師は、マニュアルや教本を頼りにします。このような医師は、検査データを偏重します。パソコンのデータだけに目をやり、画面に釘付けとなり、患者の顔を見ない医師も少なくありません。検査データを見ているだけで、患者を見ていないのです。ひどい話ですが、患部さえ治せば自分の責任を果たしたから、患者が死んでも関係がない、という様子さえ窺えるケースもあります。これでは、「角を矯めて牛を殺す」という結果になりかねません。

 

 経験不足、世間知らずの裁判官の中には、法律理論だけ尊重し、事件の内容に関心を示さないと思える人もいます。理論的に筋道が立てば、それだけでよしとし、具体的事件の妥当な解決には意を注がないと思える人がいます。裁判で負けた人の納得など一顧だにしない判決も少なくありません。

 

 この判決も患部に対する治療は間違っていないから、それ以外の病気で死んでも、それは問題とはならないと言っているのと同じです。この判決は、その患部の発生が医師や病院側の手落ちによるものであることを認定しながら、法律理論だけを重視し、医師や病院側には責任がないと、通常一般人の感覚や世間の常識に反する結論を出したのです

 

 裁判官の中には、要件事実論という裁判理論を偏重し、裁判所が勝手に絞った争点と主張・立証責任にだけ囚われ、世間の常識とか通常一般人の感覚などには一顧だにしないで、経験則とか推定則を無視し、常識や世間から乖離した審判をなすケースも少なくありません。

 

 民事裁判は、市民と市民とのトラブル(いざこざ)を公平に裁くものです。市民と市民のいざこざ、争いごとは、市民の感覚や市民の常識的思考に沿うものでなければならないのです。つまり、民事裁判の本質から考えれば、民事裁判は、常識や世間から乖離したものではならないのです。どんなに学問や知識や理論に沿うものであっても、一般通常人の健全な感覚や世間の常識が納得できない審判では、市民のトラブルを公平に裁くことにはならないのてす。
 
 

 一般通常人の健全な感覚や世間の常識が納得できない審判は、誤審なのです。その意味で、この判決は誤審であることは明らかです。
 
 
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