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 法科大学院制度を擁護しようとする側からも異論が出ていた、法曹養成に関する見直し法案が閣議決定された。法学部3年、法科大学院2年という「法曹一貫コース」の新設、大学院在学中の司法試験受験容認など、資格取得までの時短化による負担軽減で、深刻な志望者離れを何とか食い止めようというのが、この法案の狙いである。

 「背に腹はかえられぬ。それが多くの関係者の率直な思いであろう」。この閣議決定を取り上げた3月14日付け朝日新聞の社説は、書き出しでこう忖度している。しかし、この表現で収まりきれないと感じてしまうのは、彼らが苦しんでまで選択した制度の効果を、どこまで本当に期待しているのか、そして、この選択自体が根本的な制度の行き詰まり、あるいは「改革」の失敗を意味していることを本当は認識しているのではないか、ということについて、それこそ関係者の「率直な思い」を聞きたくなるからにほかならない。

 法科大学院そのものの経済的な負担、弁護士という資格の経済的価値の下落という志望者減の根本的な要因を考えれば、時短化策だけで志望者を回復しようとする試みそのものが苦しい。しかも、いうまでもなく、これはあるべき法曹養成から逆算されて引き出されたものではなく、その苦しい効果を期待しての志望者回復という一点から逆算されたものである。つまりは、「改革」そのものが、こうした形で行き詰らなければ、およそ想定もされなかった制度なの

である。

 とりわけ、在学中の司法試験受験容認は、その行き詰まりの象徴といってもいい。新法曹養成にあって、司法試験は法科大学院教育の「成果」を測る、いわば「効果測定」の役割を担わされたはずだった。それが在学中の受験を可能にするということであっては、修了を受験資格の要件としてきたプロセスの「価値」にかかわってくる。プロセス通過の絶対的価値を、もはや前提としない制度であることを自ら認めるものになるからだ。

 当然、在学中に合格すれば、それ以上に在学してプロセスを通過する意味はない。それを見越してか、今回の見直しでは、合格後の司法修習は、法科大学院修了を条件とするという。これもまた、前記「改革」の司法試験の位置付けとは矛盾した、まるで法科大学院制度の単に顔を立てるための条件化と言われても仕方がない。

 いずれにしても、「改革」の理念の正しさを強調して来た制度擁護派からも、「背理」という批判が出るのは当然と言えば当然である。つまり、これまでの制度設計をかなぐり捨て、身内から「背理」という批判を受けても、あるべき法曹養成から逆算されたわけでもない、しかも効果がそれほど期待できない政策にしがみつかなければならない、ということが、まさに「改革」の行き詰まりを意味しているということなのだ(「法科大学院在学中受験『容認』という末期症状」)。

  しかし、この見直しは、それだけでは済まないものもはらんでいる。一つは、予備試験の問題だ。今回の見直しを取り上げた新聞各紙は、こうしたところに制度を追い込んでいるものとして、予備試験の存在をやり玉に挙げている。本来、経済的事情で法科大学院に行けない人のための制度だったはずが、そうでない人に利用され、いまや優秀な人材がそちらに流れてしまっているという、制度擁護派からえんえんと聞かれてきた、いわゆる「抜け道」論が、また登場する。

 そもそも個人の抱える、それぞれの事情からすれば、少しでも早く合格を目指すこと自体、少なからず経済的事情になり得るわけで、どこまでが許されざるものなのかは判然としない。しかし、それもさることながら、あくまで回避されるのは、プロセスの「価値」への判断によるものである。合格に必要かどうかだけでなく、合格後にも必要になるプロセスの「価値」を制度は今のところ示せていない。

 また、法科大学院修了者と同レベルであるはずの予備試験合格者の司法試験合格率が、修了者の3倍以上であるという事実をとっても、それは明らかだ。まず、自覚すべきは、「価値」を示せなかった制度の実績の方であるはずなのだ。選択されない意味から、制度擁護派も推進派マスコミも目をそらしている。

 しかし、今後、今回の見直しの効果が薄いことが現実化した場合、なおさらのこと、制度擁護論は、予備試験制限に手を付ける方向に向かうのではないだろうか。そうなれば、さらに法曹界と志望者をつないでいる道が閉ざされることになる。「抜け道」を批判する側が、結局、自らに都合よく「時短化」は認めるという、見直し案のおかしさもあるが、受験要件化を伴う本道主義と同様、予備試験制限という、いわば力づくの本道誘導の無理に、制度はまず気付くべきなのだ。

 そして、もう一つ付け加えるならば、この見直しも、これを報じるマスコミも、弁護士の経済的価値の下落に導いた、激増政策の失敗という、前記根本原因を全く踏まえず、相も変わらず、「改革」が描いた量産計画の上に、制度を乗せようとしているところである。弁護士の経済的価値が復活しない限り、かつてのように志望者がこの世界を目指すことはあり得ない。それを考えれば、激増政策を何とかしなければならないのは明らかである。前記朝日は、虐待問題、国際ビジネス、労働紛争などを挙げ、これまた相も変わらず「法律家への期待は高い」とさらっと括っているが、そのどこにも増員弁護士を支える経済的基盤の現実性、そしてその向こうにある経済的価値の復活への見通し、という視点はない。

 「改革」の結果に対する、自覚を決定的に欠いた見直しの先に、まだまだわが国の法曹養成は迷走する危険性がある、といわなければならない。



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