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 〈地方開業の医師と弁護士の仕事の違い〉

 「仲裁は時の氏神様」という言葉がある。地方弁護士は、その氏神様になれる気がする。「時の氏神様」とは、「丁度良い時に出て来て、仲裁する人」を言う。「仲裁」とは、「争っているものの間に入ってとりなし、仲直りをさせること」だが、「争いになりそうな局面において、争いにならないように、関係する人全員が納得できるように納める役割」を地方弁護士の仕事にできないか、という思いが湧いてきた。

 地方弁護士は、時に際し、有り難い人となれないものだろうかという思いが強くなってきている。それができ、それを商売にできれば理想が現実となる。

 地方で開業する医師は、患者を治してやる仕事だから、いい結果を出せば患者はもとより、その家族からも上司や同僚からも、友人、知人からも喜ばれる。関係する人皆が喜んでくれる。

 闘争の代理人では、こうはいかない。弁護士が、その能力を発揮し勝利すると、勝った方の当事者とその関係者は喜ぶが、負けた方の当事者とその関係者は、悔しさと敗北感が残り、辛い思いをする。関係する人皆が喜んでくれるということにはならない。一方では喜んでも、他方には恨みや憎しみが残る人がいる。

 このような仕事は、「人生は、いまの一瞬を、まわりの人といっしょに、楽しみ尽くすのみ」という「いなべんの哲学」からすれば望ましくない。地方で開業する医師と弁護士の仕事の大きな違いは、ここにある。

 喧嘩犬と呼ばれる闘争に明け暮れている生活を見直さなければ、地方で開業する弁護士は、地方住民が心から歓迎する仕事をしているとは言えないのではないかという思いがしてならない。弁護士は、必要悪という存在に止まる。これでは、地方弁護士の商売は、いずれ行き詰まる。

 喧嘩犬を止めるだけでなく、喧嘩犬か氏神様に、固体からいきなり気体に変わるように昇華ができないだろうかと考えた。考えているだけでは前に進まない。やれそうなものからやってみることにした。

 地方弁護士が最も多く手懸ける事件は、離婚事件と相続事件だ。この二つの事件について、できるだけ裁判所の手を借りずに関係者の間に入って話し合いで解決するやり方をやってみた。

 そう心掛けて10年となったが、私の経営するみのる法律事務所では、離婚事件も相続事件も依頼事件の70~80%は、裁判所の手を借りることなく、弁護士が仲に入って話し合いで解決できるようになった。

 他の弁護士事務所のことは分からない。しかし、みのる法律事務所では、離婚事件と相続事件に関しては、裁判手続を取る前に関係者と話し合い、解決するケースが大幅に増えている。まだ裁判手続きを取らないとカネを取り難いという問題はあるが、氏神様的役割は増えていることは間違いない。

 裁判所での主張や証拠をぶつけ合って、どちらかの言い分が正しく、どちらかの言い分は正しくないという判決をもらうケースは、100件の依頼事件の内、10件位に過ぎないという状況になった。

 その経験を「相続問題は気持ちで決める」「離婚事件はバックギアから前進ギアへ」という駄弁本にして発刊した。「人生は、いまの一瞬を、まわりの人といっしょに楽しみ尽くすのみ」という「いなべんの哲学」の本も10冊発刊した。

 多くの人から共感が得られ、裁判事件の依頼よりも、関係者の間に入って、紛争にならないようにして欲しいとか、紛争を仲裁して欲しいという依頼の方が圧倒的に多くなっている。


 〈間違っていることが多い「100対0」判決〉

 地方住民同士の紛争には、一方が100%正しく、他方が100%間違っていることなどほとんどない。然るに、裁判では「all or nothing(オール オア ナッシング)」、「白か黒」、「100対0」となってしまう。納得できない人が必ず出る。こんな裁判では、紛争はより深刻化する。判決が出たら、紛争は固定化し、一生関係は修復されなくなる。

 「100対0」の判決は、間違っていることが多い。少なくとも負けた当事者から見れば間違いである。そんな判決を出すのは、裁判官の思い上がりだ。100対0の判決は、誤判と言ってもいい。この世は互いに譲り合って、人生を楽しみ合うべきだという考え方は、多くの人から支持されるようになった。裁判ではなく、仲に入って円満に解決して欲しいというクライアントは増えている。

 民事事件において、裁判離れという言葉を聞くことがある。私人間の争い事に対し、法の理屈で100対0などという現実離れした判決では、裁判所など頼らない方がよいと思うのは当然である。

 裁判所の手を借りるのは、相談に来た時点で既に裁判なっている事件と、既に揉めるだけ揉めた挙句、話し合いの余地が残っておらず、もう裁判所の手を借りる他に方法がないというケースだ。もう話し合いの余地などなく、とにかく決着を付けようというところまで来ているケースだ。そうでない限り、裁判所を利用することは、ほとんどなくなった。

 裁判所の手を借りる場合でも、なるべく裁判官に仲に入ってもらい話し合いでの解決、つまり裁判上の和解や調停を成立させるようにしている。裁判官も判決を出すより、話し合いで解決した方がよいと考えている人の方が圧倒的に多い。しかし、判決になると、法理論に囚われてしまい、「100対0」などという現実離れした判決を出すことになる。

 「100対0」などという現実を無視した判決で勝ち負けを付けるのではなく、譲り合って、妥協して、円満解決することを目指すような弁護活動を心掛けている。誰にでも、これから先の人生がある。遺恨を残さないようにしてやりたいという思いで、説得に努めている。

 裁判や審判で結論が出たら、自分が望むような結果が出た方は喜ぶが、そうでない方は悔しい思いが残る。納得できない。身近な関係が断絶することも多い。判決は大切な人間関係を分断させることも少なくない。判決では、紛争の一応の決着は付けられるが、真の紛争解決はできない。

 (拙著「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』から一部抜粋)


 「地方弁護士の役割と在り方」『第1巻 地方弁護士の商売――必要悪から必要不可欠な存在へ――』『第2巻 地方弁護士の社会的使命――人命と人権を擁護する――』『第3巻 地方弁護士の心の持ち方――知恵と統合を』(いずれも本体1500円+税)、「福島原発事故と老人の死――損害賠償請求事件記録」(本体1000円+税)、都会の弁護士と田舎弁護士~破天荒弁護士といなべん」(本体2000円+税)、 「田舎弁護士の大衆法律学 新・憲法のこころ第30巻『戦争の放棄(その26) 安全保障問題」(本体500円+税)、「いなべんの哲学」第1~14巻(本体1000円+税、13巻のみ本体500円+税)も発売中!
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