テレビ東京「日経スペシャル ガイアの夜明け」でも取り上げられた介護ヘルパーによる窃盗事件の被害者家族として、刑事裁判と、「本人訴訟」による民事裁判に臨んだ市民の体験記。一市民の目に映った司法の現実とは–。
ニューヨーク州立ラガーディアコミュ二ティーカレッジ卒。コマーシしャルフォト専攻。ニューヨークでは、パンクミュージシャンとして10年間活動。ヨーロッパを中心に、その他各国からCDリリース。そのかたわらに、フォトグラファーとして活動。数多くのアルバムジャケット作成。現在、都内広告代理店勤務。
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裁判外での紛争を巻き起こしている、主犯・人物は特定できたが、これで民事裁判の行方がどうなるものでもなかった。一方、電話会議で、民事裁判の争点整理等はあったものの、特に動きはなかった。
その間、私は、裁判外での出来事を、S弁護士に話してみた。S弁護士は、相手側のとった行動がピンとこなかったのか、首をかしげ、サラリとこう言った。
「この裁判は、窃盗事件でいくら盗られたかが、争点となっていますので、裁判外での問題はあまり関係ないので、気になさらない方がいいいと思いますよ」
東京の友人に話しても、裁判が始まっている段階で、私たちが受けているような嫌がらせ、圧力というものが本当にあるのか、と驚かれた。こうした状況は、一般的には、なかなか理解されないのだろうか。都会と比較して、この状況に関しては、土地柄というか、田舎独特の風潮なのかとも考えた。
S弁護士が話すように、裁判の争点とは無関係ということは、理論上は理解はできたのだが、彼らのやり方は私たちにとってあまりにも卑劣なものに感じられていた。そう思った私は、一部始終詳しくその様子を、S弁護士に話さずにはいられなかった。
S弁護士は、私の話をうなずいて聞いていたが、しばしの沈黙の後、こう言った。
「まぁ、この裁判は損害賠償請求額で争われていますので、これが終わった後で」
この「終わったあと」という意味が、私にはよく分からなかったが、この時は、それ以上、この件で問い質すことはしなかった。
S弁護士と話していると、事件発覚後から様々なことがあったことが改めて思い出された。私の記憶にたどると、社協と提携していたディサービス事業所の人々が、辞めるということを告げるため突然、報告に姉の家まで、来たことがあった。彼女らは、事件発覚後、姉のうちに呼び出し、社協幹部らをはじめ、責任の所在について話し合ったときに同席していた人たちだ。責任者のIさんは、頭の回転も速く、弁もすぐれ、一筋縄ではいかないという印象をもった方だったが、私個人的には、一目置いていた人物だった。
その人たちが、なぜディサービス事業を辞めるのに、わざわざ姉の家にきたのだろうか?最初に、この話を聞いたとき、即座にそんな疑問が湧いた。
「窃盗事件の件では、大変ご迷惑をかけ申し訳ございません」
過去のことを振り返ったうえで、深々と頭を下げながら、彼女らは、姉にこう告げたという。そして、帰る間際に、一言こう付け加えた、と。
「民事裁判で、もし力になることがあれば、いつでも力になります」
姉は、この言葉に驚いていた。私はこの話を聞いた時、一体、何があったのだろうかと思った。彼女たちは、何かを知っている。そして、「裁判で力になる」という言葉をわざわざ告げに来た彼女たちの行動に、内部告発も辞さない覚悟を私は読み取ったのだった。
もはや次から次にボロが出てくる町社協の、それが実体。嘘で固めた泥縄が、どんどんほどけているような感じを、私は覚えたのだった。