直談判の話は、残念な結果に終わったが、落ち込んでいる暇はなかった。本格的に民事裁判に向けた体制を整理し、相手側の出方についても、強く警戒をしておかなければいかないと思う一方、現実を直視すると、そこには厳しいものを感じた。民事裁判というものが、人の話を聞いて、頭では理解していても、実際に、どのような展開で進んでいくものなのか、皆目検討がつかなったからである。
また、父親の汚名を晴らすために戦う強い意志があっても、直面している現実問題は、時間と費用のことであった。正直な所、これが、私たちの不安を増加させていた。知り合いに弁護士もおらず、兄の友人を通じ頼みの綱だった弁護士からは、私たちが置かれている現実を知らされ、どこから手をつけ、どう戦術を練るか、そのことばかり考え始めていた。その次の一手先が見えない日々だった。
一方、地元で真相究明のため活動していた兄の様子は、ニューヨーク帰国の、タイムリミットが迫っていたため、判決後ならなら開示可能と言われた刑事裁判記録について、言葉通り開示を求めて裁判所に足を運び、裁判所内で、閲覧はできた。
しかし、兄はどうしても入手したかった。当時の私たちは、とにかく検察が作成した資料をもとに、民事裁判に向け、少しでも早く事件を洗い直し、検証することに迫られていたのだった。
兄は、裁判所で、目の前にあるコピー機を借りたいと申し出た。しかし、それは拒否された。この資料をコピーしたいという趣旨を話すと、驚いたことに、コピーが欲しいなら、「謄写人が必要」と言われたという。
「謄写人?」。素人の兄は、何のことか尋ねた。それは、コピーをするのに必要な付添人のことだった。コピーするのに、約5万円かかるという話も出た。この5万円の中には、謄写人という代理人の人件費も含まれている。一般市民感覚からして、コピー代に5万円は高すぎると、兄は驚いた。
この件で、謄写人の必要性について、兄はさらに突っ込んで聞いた。
「刑事裁判の判決も終わっているのに、なぜ、被害者家族である我々がこれを得ることができないのか」。
回答は、大事な公文書を扱うため、というものだった。一番守られなければならないのは、何なのか。
「うちは被害者一族。見る権利があるでしょ」
では、別の方法がないか聞くと、裁判所内にある地元弁護士会のコピー機ならば、弁護士会の許可が出れば使用できる(収入印紙が必要になる)、ということだった。余談であるが、実はこの話になるまで、裁判所内の部署をはじめ、検察、法務局、郵便局までと、コピー機の使用で、たらいまわしになった、という。
結局、頼みの綱の地元弁護士会にも、何度か連絡したが繋がらなかった。やむなく、コピーはあきらめ、兄はデジタルカメラを持参し、検察の資料を一枚一枚複写したという。それは合計100枚余りに及んだ。手ぶらで帰ることはできんという、絶対に引き下がらない兄の魂を強く感じた。
兄から裁判所内であった話を聞く限り、裁判所の対応にはいい心証は持てなかった。今は、そのようなことはないという話も聞くが、当時はコピーするのにも一苦労だった。
兄の、この裁判所内での体験には、さまざまな疑問が湧いてきた。弁護士は閲覧可能で、なぜ被害者家族がすぐに刑事裁判記録を見ることが不可能だったのだろうか。情報公開はどうなっているのであろうか――。当時、置かれていた状況に対し、不利な立場とする見方に立って、ちょっとしたことがマイナスな思考へとつながっていたことを覚えている。
兄はニューヨークへ帰国する前、東京に数日間滞在し、執念のコピーを数十枚、私に手渡したてくれた。それは、ぼやけて映っていた部分も多く、完璧な資料でなかったが、当時、兄の苦労がにじみ出ていた。それを見た時、落胆していた私の気持ちから、立ち直ることができた。兄の強い意志が伝染したかのようだった。その資料をもとに私は、検証を始め、同時に都内で弁護士を探す日々が続いた。