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 刑事裁判第2回公判終了後、姉たちは、国選弁護士に会い、例の「100万円」という額に関しては、あくまでも、「被害額の一部金、もしくは、純粋な慰謝料」としてならば、受け取る意向を伝えるために、こちらで作成した文書を手渡したと、連絡があった。

 果たしてどのような反応が返ってくるのか。立場上、被告人を擁護する国選弁護人だが、様々な視点からこの事件の背景を考えると、社会福祉法人という存在が大きく、私たちは一筋縄ではいかだろうと思っていた。

 実は、ここに至るまで、被告人の国選弁護人との間には、謝罪や慰謝料をめぐり二転三転のやりとりがあった。国選弁護士と私が空港で会う前、実は、例の謝罪と100万円払いたいとの申し出に関しては、ニューヨーク在住だった兄も、被告人側の要求に関して、国選弁護士とメールと電話でのやり取りはしていた。

 当時、相手側が刑事裁判対策でこちら側になんらかのアクションを起こしたいと推測できたが、彼らの狙いがつかみきれなかったこともあって、兄は「面会謝罪」という形から交渉に入ることを伝えていた経緯がある。

 こちら側の面会と謝罪の条件として、国選弁護人に対し、兄は把握している検察書類情報の公開と、窃盗金額の使い道の追跡調査を犯人の親にさせることを通じて要求した。こちらの気持ちとしては、具体的に出てこないお金について謝罪では済まされないということ、年金暮らしの老人から、娘がしてきた悪行を親に肌で感じさせるということがあった。娘が何に豪遊して、窃盗した金を湯水のように使い果たしたのか、親が苦労して追跡調査をしてくれれば、娘が犯した罪の重みを認識させることができるのではないか、という思いもあったのだ。

 のちに、この追跡調査は、私たちの思いに反し、私と兄が足を棒にして膨大な時間と労力をしいて、やる作業になった。失った時間と大きく変化した生活への影響は計り知れない。

 また、兄はその時、刑事と民事では、性格が異なるため調査結果の出てない被害金額の弁済という名目では、お金は受け取れないと趣旨も伝えていた。しかしながら、数日たっても、国選弁護人からは返事がないため、兄はニューヨークから国選弁護人に電話した。兄はその時、まず地元の姉は社会福祉法人の対応と実家の父の世話などもあり、非常に疲労があるため、今後連絡をする際は、窓口は、ニューヨークに住む兄もしくは、次男(私)までと申し渡した。その時、国選弁護人側から、例の100万円について「示談ではなく、慰謝料の一部、または迷惑料」と名目なら受け取ってもらえるかと、尋ねてきたのだった。

 ところが、刑事裁判の日程等が確定し本格的に動き出した頃、検察の方でこの事件が「15万円」のみで立件と方針が定まるや、国選弁護人側は態度を一転。「検察の厳正な取り調べで出された額なので、15万円しか支払わない」と連絡してきたのだ。同時に、こちら側が面会・謝罪の条件としていた要求内容も拒否された。

 突然の変わり身に驚くとともに、あまりにも落差のある金額提示で、被害者としての心情を逆なでされた形となった。100万円から15万円にすり替えられたという感じが、小馬鹿にされたような気持ちにもさせられた。

 最終的に、国選弁護人のとった行動は、素人目からみると、刑事裁判前の情状酌量の余地を作ろうとするテクニックのみが先行し、示されるべき誠意と内容がともなわないものに思えたのだった。

 そして第1回公判後、私は空港で、家族として始めて直接、国選弁護人と面会交渉にあたったわけだ。

 しかし、その後も、国選弁護人への不信はさらに深まることになった。空港で国選弁護人が言った、「550万円払わせますよ」との言葉とは裏腹に、兄に届いたメールは裁判中に一定の額を受け取ってもらえなければ、法務局に預けるという内容が返ってきたのだった。今、思えば、示談交渉以前に「面会謝罪」という、私たち家族が考えていた形は、到底実現しないものだったのだ。

 こうした国選弁護人とのやりとりと同時に、社会福祉法人の事務局長から姉のうちに、「防犯カメラのあるうちにヘルパーを派遣させることに問題がある。まだつけているのか?」との連絡を受けた。犯人検挙の根拠の決定的証拠となった防犯カメラを撤去しない限り、ヘルパーを送らないという脅しともとれる内容の電話だった。

 それでも、その時は、被告人と社会福祉法人が、大きなスクラムを組んで、われわれ一族に向かってきているとは、思いもよらなかったのだった。



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