司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 民事裁判の第一審が終わった。弁護士をつけない裁判で、とにかくやるだけのことはやったという気持ちで、内心、ほっとしていた。ただ、精神的、肉体的にも、既にクタクタになっていた。弁護士という専門家をつけていない当方が、それをつけている相手と向き合うことは、それだけで予想以上に神経をすり減らすことだった。そして、そもそも全く司法とかかわりがなかった素人が、ここまでガチでそれと向き合うことになるとは、夢にも思わなかったのである。

 

 「司法を身近に」ということが、弁護士活用を求める弁護士会や、裁判員制度を推進する側からメッセージとして発信されているが、正直、国民は身近になってほしいか、という率直な疑問を持ってしまう。要するに、そんな簡単なことではないのだ。よっぽどでなければかかわりたくない、最終手段でいい――おそらく、司法の現実を知っている国民ほど、そういう感想を持つというのが現実だろう。

 

 しかし、私たちの闘いは続く。今後の判決次第では、こちらもどのように対応していくのか、また、これからくる現実とどう向き合うべきなのか――民事裁判第一審が終り、ほっとしたのも束の間、私たちはそのことに頭を悩まさなければならなかった。そして、判決を不安な気持ちで待たなければならなかった。

 

 素人が、自力で裁判に向き合うことは、常に不安と隣り合わせであった。一審が終わっても、次に、相手が何をしでかすか、わからない不安。繰り返し何度も思ってしまうことではあったが、こんな時、プロの弁護士が横にいたならば、そんな不安を取り除いてくれる見通しを、あるいは示してくれていたのたろうか、という気持ちが過った。

 

 今まで、常に戦闘モードにあった気持ちを、できるだけ落ち着かせるようとしていたが、それは容易ではなかった。当時を振り返ると、常に私の脳内はアドレナリンが出っぱなしだったような感じだった気がする。判決が出るまで2週間。私の中にある、司法に対する思いを、一旦スイッチオフにするため、必死に、心を落ち着かせようとしていた。

 

 これは、裁判の当事者が誰でも体験する気持ちなのだろうか、それとも私たちが司法に不信感を募らせる体験を経て、本人訴訟に向き合わなければならなくなった当事者だからこそ、特に湧きあがって来た気持ちだったのだろうか。もちろん、それは私たちには分からなかったが、やはりその時の私たちは、司法に対する強い不信感で、判決とその後の闘いに向けて、身構えていたことだけは確かだった。

 

 判決日まで、カレンダーに印をつけながら、過ごすことになった。ただ、一つ係争中とは違うことがあった。それは夜の気持ちだった。裁判がない、平穏な生活とは、このようなものだったかと、かすかに思い出すような、そんな夜があったことを覚えている。まるで、雲の間からみえたわずかな青空のような、それがかつて当たり前の日々だったとしみじみ感じた。

 

 そして、ある日、電話のベルが鳴った。



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