「あの、どうすればいいですか」
裁判所の一室を支配した沈黙に、しびれを切らしたかのように、裁判官が切り出してきた。口を閉ざしたままの父に対し、私は小声で父に「判決か和解か」を質したが、それでも父はすぐに返答してこなかった。そして、しばし無言が続いたのちに、両手で杖を握りしめ、再び、目を閉じた。
「じゃ、判決でいいのか」と、兄が確認すると、父親は、首を横に振り、ゆっくりと私たちの方を向いて、一呼吸したのちに、こう言ってきた。
「いや、もう裁判はいい」
そして、また一呼吸おいて、こう続けた。
「そろそろ、決着をつけたほうがいい。これ以上、長引かせると、おまえたち家族に迷惑がかかる。東京から、何度もトンボ帰りも大変だろう。もう、わしのことはいい。もう、十分闘ってくれた。ここらでいいだろう」
父の声は、小声だったが、おそらくそこにいた全員が父親の声は届いただろう。兄は、父親に再確認するため詰め寄った。「本当に判決じゃなくていいのか」。父親は、目を閉じたままうなずいた。
父自身、まだらぼけはあったと思うが、裁判の間は、裁判官と我々の話を必死に把握しようとしていたんだと改めに思った。そして、なによりも私たちのことを考えて、ここで闘いを決断しようとしていることが心に痛かった。
いうまでもなく、「和解」の決断は、私たちの闘いの終結を意味する。それで悔いは残らないか、そこが本人訴訟を闘ってきた、私たち兄弟にとって、大きな問題であることは間違いない。しかし、原告である、父の言葉は何よりも重かった。これは、本当はあくまで父の闘いなのである。
この時、この父の言葉で、私たち兄弟をふくめ、家族は、今まで深く考え、とらわれていた思いから、ある意味、開放されたように思う。父にしかできない、大きな決断をしてくれたのかもしれない。私たちの長い本人訴訟の闘いのなかでも、この時のことは、まるで昨日の出来事のように鮮明に覚えている。
この私たちの様子を、裁判官はじっと見つめていた。そして、この状況をどこか気遣うように、語りかけてきた。
「あの、お話は聞いていたのですが、まとまりましたか」
兄は、答えた。
「和解という線で、こちらはいいです」
兄の言葉には、若干ためらいの響きがあった。その兄の心境も、私には理解できていた。今までのことを振り返ると、裁判外での場外乱闘、行政からの圧力は無数にあったからだ。それを乗り越えてきた側として、司法での公正な判断に辿りつきたいという思いでこれまでやってきたことは、私も同じだったのである。
私たちが、和解という言葉を伝えるは、結果的に先方にはねられた一審に次いで、これが二度目となった。