法廷から別室に向う私の気持ちは、重たかった。どういう手続きが進められているのか。残った裁判官たちは、何の話をしているのか、簡単に聞ける専門家は私たちのそばにはいなかった。同じ別室には、相手側当事者も移されて、お互い会話もなく、ただただ気まずいような空気が流れていた。
そんなとき、頭を過ったのは、一審のときの最初の不愉快な裁判官の姿だった。もし、今回の高裁裁判官にも、あんな態度をとられたらばどうしよう。そんな不安が、なぜか急に込み上げてきた。
思えば、裁判と向き合うことは、延々と不安の連続だった。素人が裁判に挑むとは、おそらく普通以上にそうなのだろう。誰にも聞けない。そういう精神的な負担は、想像できたことではあったけれど、やはり実際に本人訴訟に臨んで、痛感することではあった。
別室で待たされていたのは、おそらく数十分だったと思うが、やけにその時間が長く感じたのを覚えている。ようやく、三人の裁判官がぞくぞくと、部屋に入ってきた。ふと見ると、驚いたことに、裁判官とともに、前回、われわれの裁判を担当した書記官がいた。一体、どういうことなのか――。
この案件を熟知した、その書記官と裁判官は何か打ち合わせていたのだろうか。たとえば、本来、弁護士を通じて裁判官が得られる基本的な情報を、私たちの場合、この書記官から得たのではないか、そんな風にとっさに考えてしまった。
あるいは裁判の場が、法曹という人間たちが、法律という共通言語でやりとりする場だとすれば、私たち素人はあくまでイレギュラーな存在。裁判の流れを熟知した同士が、そのなかで有効なやりとりをし、ある意味、効率的合理的に最終判断に導く。ところが素人である当事者は、それが分からない。彼らからすれば、何が出てくるか分からない。要は、余計に気を使わなきゃならない、厄介な存在のはずだ――。
だからこそ、裁判官はあの書記官にいろいろとわれわれのことを聞いたのではなかったか。そんなことを勝手に思いめぐらしていた。あの書記官は一体、何を裁判官に伝えたのだろうか。彼の目に私たちはどう映っていたのだろうか。答えの出ない、そんなことも考えた。彼は、最初の印象では無口で、冷たいものを感じさせるタイプだったが、不思議なことに私たちは彼に親しみをもっていた。それだけに、どうかいい方向につながるように、と、祈るような思いにもなった。
「みなさん、すみません。遅れまして」
三裁判官の一人が、穏やかな調子で、こう切り出してきた。彼が裁判長で、人当たりもよく、いい印象だった。この方であれば、なんとか話し合いはできるのではないか、そんな風にも思えた。すると、今度は陪席裁判官のうちの一人が、「担当する葵(仮名)です」と名乗った。よく状況はつかめていなかったが、彼が主にわれわれとのやりとりを行うという風にとれ、実際にその後そうなった。彼の第一印象としては、非常に腰が低い人物にとれた。もう一人の陪席は、何も言わなかった。
果たして、彼らが私たちの裁判にとって、吉とでるか凶とでるか。戦々恐々たる思いだった。