私たちの事件について、持ち込まれることになった町会議の開催を待つ私たちは、議場に来ていた町民たちのざわつく姿をながめて、この事件が浮き彫りにしようとしていることが、いかにこの小さな町の住民たちの関心事となっているか、を感じることになった。
そこにいた町民の多くが、我が家の事件の真相の解明を心待ちにしていたのは間違いないだろう。そこに来ていた人々の多くは、農家の人や仕事を引退した人々だった。ワイドショーを見るような期待感もあったかもしれないが、それ以上に、私たちの父のケースは、この町に住む高齢者が誰でも被害になり得る、まさしく他人事には思えないことだったのを、改めて思い知らされた。
現在の話になるが、今月、社協に関するニュースが飛び込んできた。なんと私たちが父の事件で対決することになった、わが町の社協が関わる事件が起きたという話だった。私がまず、耳を疑った。
私たちの事件は、私たちの小さな町にとっては、前代未聞の不祥事だった。そして、私たち家族との間で、司法を舞台に、刑事裁判、そして民事裁判で高裁まで争った後、町議会でも社協の責任を追及し、さらには新聞をはじめメディアにも取り上げられた。これだけの事件に関われば、町も社協も反省し、襟を正すのが本来の役所のはずだし、不祥事の再発防止へ取り組むものと考えていたし、そのためにも、私たちの本人訴訟は意味があるものと考えていた。
しかし、今回の事件の話に、私はまず、その教訓はどうなったのか、と感じたのである。町社会福祉協議会の幹部が、私たちに、何度も頭を下げた姿が脳裏に浮かんだ。
新たに発生した事件は、社協の職員が成年後見制度を利用して、1400万円着服した事件である。成年後見制度とは、精神上の障害 (知的障害、精神障害、認知症など)により判断能力が十分でない方が不利益を被らないように その方を支援する仕組みであり、一人暮らしの老人が悪質な訪問販売員に騙されて高額な商品を買わされてしまうなどといったことから、彼らを守るのものでもある。成年後見制度を上手に利用することによって、被害を防ぐことが可能なものだと私は認識していた。
過去の経験から何も学ばず、教訓を生かさなかったことに憤りを感じた。今回の事件は、社協の高齢者対策への姿勢の問題として、父の事件に通底するものがあると感じた。。日本は超高齢化社会に突入し、今後さらに成年後見制度の利用者数が増加するのは間違いないなか、行政の担当者がこうした不祥事に手を染めてしまう事態は深刻である。近年、これらを利用した弁護士の悪質な事件も相次いでおり、それだけ社会が病んでいる、という気持ちが湧いてきたが、それと同時に、彼らの根本的な自覚を今、問い直さなければいけない、という気持ちになった。
そして、父の事件を闘い抜いた側からすると、これは、とても残念なことだった。