事件についての、おおまかな話を聞いた後、その国選弁護人の女性は、とりあえず、慰謝料として150万円を受け取ってくれ、と言ってきた。
「やはり、きたか」
私は、即座にそう思った。このどしゃぶりの雨の中、わざわざ何もこちらに提示するものがなくて、やってくるわけはないなと思っていたが。これが、メインデイッシュだったのだな、と内心思った。
一度立ち止まり、再度考えた。
「ん、150万円?本当に慰謝料?」
頭のなかでぐるぐると、その額がまわった。新聞報道等で流れた額は、「15万円」つまり、10倍の額を提示すれば、こちらが、「即決で、はい、お願いします。」と、飛びつくと思ったのだろうか。もし、そういう思考で交渉を望んでいるのであれば、あまりにあさはかだ。一般的には、通じる戦法かもしれない。、そこから、さらに値引いて落としどころをつけて決着をつける。おそらくこのようなシナリオをフォーマット化し、私にぶつけてきたのだろうと思った。
さすがに、この弁護士のフルコースの口車に乗るわけにはいかない。私は、少し遠くを見ながら、大粒の雨をみながら、手を組みながら、しぶい顔をし、検討するふりをした。そして、国選弁護士の目をみながら、こう言った。
「私の一存で決められないので、その慰謝料の話は家族間で話し合い検討します。一度持ち帰ります」
私は、流石に150万円を受け取って刑事裁判は終結、そしてすべて「チャラ」。となりかねないと思い、クギを刺す意味を込めて、さらにこう言った
「確定ではないのですが、現状概算で、550万円の以上の被害額はありますよ」
心の中では、「150万円」という額では済まない、と言いたかったが、こらえた。当然だが、前日矢吹検事が、出していた数字は伏せていた。
すると、その場で女性弁護士は、小声で、目線は下を向き、うつむいたまま、こういったように聞こえた。
「払わせますよ」
私は、一瞬驚いたが、はっきりとその時、私はその言葉を聞き返すことはしなかった。バックの中身をごそごそしながら、何かを見ているようだった。なぜかあの時、国選弁護士人の言葉は、なにか複雑なものをはらんでいるように聞こえた。「払わせます」と聞こえた、あの言葉は、真実だったのだろうか。
今振り返ると、あの言葉に中身はなかったように思える。この国選弁護人は、実は、われわれがどれくらい失った額と考えていることを探るために来たのかもしれないと思っている。
最後に、私は、彼女に対して、「犯人は国家により厳しい裁きをうけるべきです、そして反省すべきです」と言った。
彼女は、私の言葉を聞き、一つため息をついた。その様子が印象的だった。その「ため息」をつく彼女の姿が、私には私を仕留めることができないことに「落胆」しているようにみえた。やはり、今にして思えば、ここでの話し会いは、弁護士である彼女にとって、重要な交渉事だったように思える。
搭乗して離陸する飛行機から、広大な海を眺めているとき、私の頭の中に身妙な胸騒ぎがした。社会福祉法人が我が家に「謝罪」に行くのをやめさせたという部分で、なにかが犯人の裏で、糸を引いている連中がいるのではないか。そんな思いだけが、頭を駆け巡っていた。