断片的ではあったが、刑事裁判記録の整理がつき、大筋で現実が把握できてきた。作業が迅速にできたのは、ニューヨークにいる兄と、13時間もの時差がある中、お互い夜通しチャットなどで、この事件について、刑事裁判記録の疑問点と自分たちの考えを比較しながら、何度も議論し検証できたことにあった。その作業を通して、根底にある問題点も浮き彫りにできたと思った。
兄と議論している間、幾度も疑問を洗い出し解こうとしても、どうしてもそれを払拭できない部分があった。それは、「犯人通帳記録」と全体像の流れだった。この話題に入ると、いつも兄も私も首をかしげることになった。なぜ、検察はここまで調査しているのに、余罪を徹底的に追及せず起訴を断念したのだろうか。いつも、その素朴な疑問に突き当たってしまうのだった。
憶測だが、様々な事柄が浮かんだ。まずは、金額については、担当刑事が言っていた通り、すべての金銭に関する立証は困難なため捜査を打ち切り、途中でさじをなげた。もしくは、ここでの犯人の常習化した犯罪を時間軸に沿って立証していけは、社会福祉法人の監督責任、業務上の過失を問わざるおえなくなる。それを証明すると検察、警察官は県、町、行政と事をかまえなくてはなくなる。これを避けたかったのではないかもしくは、社会福祉法人らの幹部らが、自分たちの罪を庇うため、政治的力学に訴えて捜査ストップへの圧力をかけたのではないか。兄が町長兼社会福祉法人理事に直談判に行った時の、被害者に対するその傲慢な態度、こともあろうに「盗られた人間も悪い」という非情な発言、さらに、被害者に対する冷酷な態度。それらを踏まえて、推測するとなんらかの手段を用いて、大事件にならないように仕掛けたのではないか――。
この資料に目を通す限り、どうしても現場警察、検察は犯人の行動を読み取り、把握し、証拠をつかんでいながら、なぜか尻切れとんぼみたいに捜査にピリオドを打った印象を受けてしまうのだった。また、何度読み返しても、2002年5月から窃盗を始めている犯罪を、平成2004年2月28日のみで処理しようとするシナリオには、無理があるように感じられたのだ。
そんな憶測と妄想にかられ、私は必死になり、兄が裁判所まで行き、時間をかけ、執念でもぎとった資料に、マーカーで疑問になる部分には線を何度も引き、分からない専門用語は徹底的に調べ、紙がくたびれるまで繰り返し読んでいた。するとふと、刑事裁判中に担当検事と会話した言葉が、再び脳裏に蘇った。
検事は「悪いのは、社協、社協、社会福祉法人が悪いよ。3回も会議をしたんだから。社協を起訴しなさい」とつぶやくように言い、次に、「800万、800万相当、犯人は窃盗してますよ」。では、なぜ「15万なんですか」と問い詰めると、声をひそめて検事は、「内部でね・・・色々な意見もあってね。そこまでやるのはね」
私は、その時、改めて検事の言葉に確信を持った。担当検事は、本当はこの事件を徹底的に立証したかったのではないか。これらの資料を見る限り、逆に検察官の法律家としての正義心の表れが、見え隠れしているようにも感じられた。その一方で、ねじ伏せられたような終わり方。あくまでも、私がみた刑事裁判記録は、その意味で、消化しきれていないもののような印象を与えるものだった。そして、のちに兄とのやり取りで、この検事の言葉は、事件を解く鍵となり、事件真相の全貌を暗示していたものだということが分かる。
とにかくこの事件を託せる弁護士が見つかるまでには、ある程度、事件の真相を明確に説明できるように資料を整えておく必要があった。今まで概算で作成し、予想していた窃盗額も、この刑事裁判記録の資料を参考にすると、明確に見出さないといけない部分が分かってきた。まさに、これは指南書だった。そして、細かい窃盗額の数字を割り出すため私は、再度地元に帰り、調査することを決意した。
一方で、早々と、兄は、刑事裁判記録の解析の作業に入っていた。この刑事記録をもとに、犯人の行動や癖を推測しながら、事件解決へロジックを組み立てていた。のちに、私が調査した資料と兄が融合した、このロジックが重なり合い、驚くべき力を発揮し、すべてを証明し立証する原動力になるとは現段階では知るよしもなかった。