司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

兄が裁判所に連絡後、私自身、この件について整理し考え、身近にいた司法関連の方に話を聞くことにした。争点整理の審理は、事実上裁判の本体と言うべきもの。原告を追い出し、弁護士だけ残し裁判官と話し合う自体が、「裁判公開の原則」に抵触しているのではないかと、兄と同じ視点で思っていた。一般的に裁判とは、「公開の原則」というものが存在しているはず。だからこそ、仮にそれが争点準備とはいえ、このことは裁判の素人ながらも、当然の疑問であったのだった。

 裁判を受ける権利を実効化するために、裁判が人々の監視するところで行われ、公正さを維持しようとする裁判公開の原則(憲法82条)。これに照らして、今回とった裁判官の行動はどうだろうか――。兄は、市民目線の疑問をストレートに裁判所に投げかけた。当事者である原告を外にはずし、弁護士と裁判官のみで密室で話をまとめようとするとは一体どういう了見か?

 裁判は、市民監視によって公平公正を担保する公共のサービスであるはずだ。裁判官と弁護士だけで密室で進めれば、両者の力関係、馴れ合い、人脈を含めた「しがらみ」が判決に反映されるおそれがある。「民事は金銭で解決される係争」と言う側面はあるが、法廷は裁判官が自己の良心に従い事実を認定し、真実を追究する場であるという前提がなければ、裁判所判断に権威などなくなる。

 私は、この件である出版社の人間で、元法務局に勤めていた方に話を聞くことができた。彼はうなずきながら、私の話を聞いていたが、聞き終わると笑いしながら「裁判官を変えるということは難しいよ、余程のことがない限りね」と言った。しかしながら、その後、がらりと真顔になって、目をほそめながら、そっとこのような言葉を教えてくれた。

  「忌避」

 その意味は、事件を担当している裁判所職員・裁判官に裁判の公正・公平を疑わしくするような事情がある場合に、当事者からの申し立てにより、職員を起訴手続きから排除することは可能である、という。また、裁判官が当事者の一方の親友であるなど、特殊な関係が存在する場合、変えることが可能ではないか、と説明してくれた。「基本的には難しいがな」と彼は付け加え、さらに、最後に忠告として、「裁判官の心証を悪くすると、不利になるかもしれない」と、釘を刺された。

 元法務局の彼の忠告を念頭に入れながら、今後の展開を視野に入れ、次の争点準備に向け、ニューヨーク在住の兄と今後について話し合った。今、振り返えれば、素人ながら裁判所に対し、疑問に思ったことを率直にぶつけていったのは、まさに我々が我々の裁判に必死に向き合おうとする気持ちの表れ、そのものだったように思う。



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