高裁での裁判が始まると、既に春がきていた。冬に一審の判決があり、春先には高裁。一審で勝訴している側としては、新たな季節を迎えて仕切り直しなどという気持ちにはなれないし、本来なりたくもない「春の陣」だった。
控訴審3回目の期日で、高裁の担当裁判官が、早くも「和解」のカードを切ってきた。まず、社協サイドの方々には、一旦、席をはずしてもらい、待合室で待たせる。その間、裁判官が、和解について説明しはじめる流れとなった。
「どうですか?和解は?」
担当裁判官が、こちらの姿勢をうかがうように軽く投げかけてきた。この裁判官の立場として、とにかく早期に解決したいという気持ちの表れだけは感じとれた。しかし、こちらの立場としては、やはりこのタイミングで「和解」の話が切り出されること自体に戸惑いが隠せなかった。疑問に感じたことを率直に彼にぶつけてみた。
「まだ、まともな審理してませんよね?なぜ、いきなり、和解なんですか?互いの主張を聞いた上でなら、理解できるのですが」
こう切り出すと、裁判官の表情が一瞬、固まった。この時、私はいち早く、この状況に危険を察知していた。それは修羅場の臭い。こういうことを感知できるのは、長い営業経験によるものといっていいかもしれない。そして、その後の彼の冷ややかな目線と声のトーン、彼の様々な部分から湧き出ている肉眼では見えない、ビシビシと張りつめた感情の煙――。それはほんの数十秒のことだったと思う。でも、その時、爆発寸前のカウントダウンが始まっていた。
そんな中、兄は彼に追い討ちをかけるように、質問を投げかけた。
「今回は、社協さんがこちらに控訴したんですよね?ならば、社協さんの控訴の主張がどれだけ信憑性があるのか、それを見極め、一審の判断を退けるほどの内容はあるのかないのか、そして、その陳述書の内容は、整合性があるのか、それをみてからの判断をしてもよいのではないか?」
横で聞いている私が、首を立てに振りながら聞いていると、ついにその時がやってきた。担当裁判官がまるで暴走したかのように、怒鳴りつけてきたのだ。やはり、きたかとは思った。ただ、その内容は生涯忘れることができない驚くべきものだった。
「結局は、金ですか。おい。金が欲しいのか?」
そうしたセリフの怒涛の連発である。私たちに対する、威圧的な態度は続き、これを私は威嚇ととった。今まで、しおらしくしていたのき演技だったということか。これは、一般社会ではよく目にする光景ではある。自分の思い通りにことが進まないと、キレる姿。相手を弱者と見極めたときに、起こる現象だ。しかし、ここは裁判所の審理の場であり、そして彼はれっきとした裁判官である。
ついに、暗黒裁判が幕開けか、と思った。そして、このとき、もし私たちに弁護士がついていたら、どう対応してくれただろうかという思いとともに、そもそもこの裁判官はこんなセリフを吐いたのだろうか、という思いが頭を過った。