司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 私たちのなかにある当然の正義、当然の道理。思えば、刑事裁判以来、私たちはこの「当然」の主張に耳を貸してもらい、それを認めてもらうということが、一筋縄ではいかない、司法の世界を思い知らされてきた。

 

 結果的に本人訴訟にたどりついた私たち家族は、そのなかで相当に鍛えられてきたが、同時にこの得体の知れない司法がこれから私たちの「当然」をどう扱い、どう決着させるのかへの不安は、日増しに高くなってきていたといっていい。

 

 この裁判は私たちの闘いだが、あくまで主役は被害者である父だ。父こそ、このときまでに「当然」の正義・道理に対する司法への不信感を募らせていただろう。それが、先日の争点整理での一言でもあったはずだった。

 

 だからこそ、私はこの法廷の場で、父が思う存分自らの気持ちを披歴し、その父の主張に対して、正面から司法が向き合ってくれることを、不安な気持ちのなかで心の底から願っていたのだ。おそらく、口には出さないまでも、それが家族全員の願いだっただろう。父の声を聞き、その姿を見てほしい、そして、これ以上、父を傷つけないでほしい、と、私は何度も心のなかで唱えていた。

 

 その父の出番がついにやってきた。裁判官に呼ばれ、そばにいた私は、杖をつかせながら、ゆっくりと父親を証言台へ連れていった。そこにつくと、父親は、裁判官に対し一礼し、向き合った。私は、父親を支えるように横にいながら、固唾を飲んで、これから始まることを見守った。証言台の父は、今、どんな気持ちだろう。誰よりもこの悔しさや、苦しみを味わっている父は、この裁判に挑む思いはどれほどのものだろう。私たち家族は、本当はそれを理解しているのだろうか――そんなことが頭をよぎった。
 

 父は、裁判官の質問に対し、非常に冷静かつ謙虚な姿勢で、一つ一つの問にも、丁寧にゆっくりと答えていた。だが、事件当時の状況やお金がなくなっていく様子を語る場面になると、さすがに、当時の悔しい気持ちが浮き上がってきたのだろう。言葉をつまらせながら、「お金が、だんだんなくなっていくのは、苦しかったです」と語った時には、目線をしっかり裁判官に向けたまま、その目には涙が浮かんでいた。

 
 その姿は、私の心に深くしみるものだったが、その半面、しっかりと気持ちを伝えられている父のその姿に、私は正直安堵した。十分に裁判官、傍聴席の方々に、今、彼の気持ちは伝わったのではないか。そんな風にも思った。

 

 最後に父は、「息子、娘たちの協力があったからこそここまでこられました。私、一人では、ここまではこられませんでした」と、付けくわえた。私自身、この言葉に胸が熱くなったのを記憶している。だが、私は、この場で何か発言したように思うのだが、正直、はっきりと覚えていない。それだけ、その場の父のことで頭がいっぱいだったのかもしれない。

 

父の発言が終わると、急に相手方弁護人が、どうこれを受けとめたのかが気になり出してきた。弁護人の表情からはそれは分からない。だが、その後、変化は被告人の態度に表れ始めた。穏やかな口調で質問する裁判官に対して、被告が不貞腐れたような態度をとり出したのだ。一体、何が起こったのか――。



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