司法改革の「失敗」ということが言われ出して久しいが、では、その司法改革とは何であったのか、ということがあまり語られない。社会的テーマとしての関心度もあるが、業界内においても、既に1990年代の「改革」論議を知らない法曹がかなりのウェートを占めており、およそそういう切り口から現状をとらえるムードそのものもが消えてきている。
もはや歴史として語られる、今回の司法改革は、一般的な捉え方として、この国の規制緩和の流れのなかに位置付けられる。行政改革、政治改革に続く、この国の「改革」が、経済界の要求を背景に進められ、そこには新自由主義的な発想が根底にあった、と。
「改革」のバイブルとなる2001年の司法制度改革審議会の意見書でも登場する「事後救済社会の到来」、すなわち事前規制の廃止・緩和によって、弱者が不当に不利益を被らないための仕組みの整備が必要という発想は、そうした流れと発想のなかで生まれ、それが弁護士の大量増員政策へとつながっていった、という理解のされ方にもなっている。
しかし、今では語られることがあまりないが、日弁連・弁護士会は、この「改革」に違う描き方をしようとした。それは、「市民のための『改革』」というもので、司法を国民の側に取り戻し、市民に身近で役に立つ司法を確立することを目指す、と。現に司法の救済を必要としている多くの国民が、それを得られないでいるという前提に立っており、その解決のために「大きな司法」、裁判官の増員、そして「司法官僚制の打破」である、という描き方。日弁連のこれまでの取り組みにひきつけ、自分たちがこうした発想のなかで、「改革」をいち早く提唱して来た、いわば自分たちが源流である、という主張だった。
彼らは当初から前記した流れを分かっていながら、これを機に、自分たちの理解の仕方で、それを実現させる方向で「改革」を進めるという立場をとった。そして、その発想のもとで、結果的に自分たちを経済的に苦しめ、資格そのものの姿を変えることにまでにつながる激増政策を受け入れた。自己改革が、前記目的の達成に必要と理解したということになる(「同床異夢的『改革』の結末」)。
しかし、前記規制緩和の流れに対峙する形になった、弁護士会の「市民のための『改革』」路線の成果を、この「改革」の結果にみる人は少ない。むしろ失敗したという捉え方もされている。なぜならば、彼らが「二割司法」といった膨大な潜在需要を描き込んだ増員政策であったが、市民の需要は経済的に大量弁護士を支え切れなかったからだ。潜在需要論のなかで、有償・無償を区別なくとらえ、そこを厳密にこだわらなかったという基本的なミスがあったが、からくりはもう一つ前記「事後救済社会の到来」にある。
弁護士会外の規制緩和派が、こぞって主張したこの到来するという未来に、弁護士会の「改革」推進派は、弱者救済のための弁護士増員の必要性、いわば自分たちの出番読みとる形になり、それによってこの規制緩和の流れを受け入れ、乗る形になった。
しかし、新自由主義的な規制緩和派の念頭に、果たしてどこまで「事後救済」という発想があったのか。これについては、いまや懐疑的な意見が弁護士会内にも強くある(もともと懐疑的であったから出番があるとみたという人もいるが)。規制を緩和し、企業活動を自由化し、富めるものをさらに富ませる社会を目指し、敗者には自己責任という烙印が押す彼らの発想、むしろ大多数の市民には有り難くない社会を目指す彼らが、本当に事後の救済を考え、そのために大きな司法が必要と、どこまで真剣に考えていたのか、という話である。
前記彼らが手にする実のために規制緩和があり、それを飲ませるために「事後救済」という描き方があった。そして、彼らの求めた弁護士激増政策の真の目的もそこにはなかった。そこに、弁護士会はまんまと乗っかり、「オールジャパン」と称して、結果的にこの流れを後押ししてしまった。労働法制の現実をみても分かるが、規制がなくなれば、「市民のため」どころか、弁護士は逆に彼らのために闘う武器も失う。「市民のため」を標榜するならば、弁護士会はこの規制緩和型改革をもっと警戒し、対決しなければならなかった(「『事後救済型社会の到来』の正体」)。
今、日弁連型の「市民のための『改革』」が語られないのは、とりもなおさず、規制緩和型が実をとり、社会は日弁連型の成果を実感できないからといえる。どんなに日弁連が「ゼロワン」といわれた弁護士過疎地の解消や、弁護士の新たな分野への進出などの成果を言っても、企業内弁護士は10倍に増え、将来的的な伸びを期待されながら、市民に一番身近であるはずの「町弁」は衰退の一途という現実である。弁護士は経済的な余裕を失い、ビジネス化せざるを得なくなり、弱者救済どころではない。それこそ、信念で取り組んできたような「手弁当」派も「改革」はむしろ絶滅させる形になり、人権の砦であったはずの、弁護士会の自治や活動に対しても、弁護士会員から不満や不要論が出ているのが現実だ。裁判官の増員が掲げられていたが、極端に増えたのは、結局弁護士だけだ。
前記したように「改革」論議が過去になるなかで、知らない世代が増え、もはや今を生きることが先決で、過去を語ることもなくなりつつあるのが業界ムードではある。増員基調の「改革」がずるずると続くなかで、「市民のための『改革』」の責任、それが一体どうなったのかは、問い続ける必要があるはずである。