司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 私たちは、わが国政治家のさまざまな「失言」に対する言い訳を聞いてきた。そのなかで、決まって登場してくるのが、「誤解」という言葉である。発信者本人が「失言」を認めて、訂正や謝罪する際に言う「誤解を招くものだった」とか、「誤解を招くものだったら」というものだ。

 

 しかし、多くの場合、おそらく国民の側は、その政治家の言葉を誤解したとは思っておらず、正しく本心に接したと思っているはずなのである。だから、二つのことを考えてしまう。一つは本心ならば、なぜ、訂正・謝罪までするのか、本心ならば堂々と言い続けて、その本当の真意を語ってもらいたい、と思う。もう一つは、本当にそれがアウトな発言だというならば、なぜ、発言した、発言できたのか。訂正を想像できなかった方、明日の朝刊の見出しが思い浮かばなかった方を疑う。

 

 つまり、こうした「失言」の幕引きは、「本当に私たちは誤解したのか」という点で割り切れないまま終わってきたのである。そして、結局、それが「失言」に対する、予想外の反発にあわてた発信者が、繰り出してきたお決まりの対応ということで、理解せざるを得なくなっていく。

 

 場をわきまえない、ついうっかりの不注意に資質の問題を見るのか、そこに見えた本性にこだわるのか、あるいは本心を言いながら都合が悪くなると即刻謝罪・訂正する、その主体性のなさを問題にするのか、それは受け手やケースによってさまざまかもしれない。ただ、誤解などしていない、誤解のしようがないと考えている受け手に対して、自らの責任回避のために、そのときどういう趣旨で語ったか、本当のことを語らず、受け手側の誤解の可能性を持ち出すというのは、考えようによっては、随分卑怯で、情けないやり口だと思えてくる。

 

 しかしながら、今回の稲田朋美防衛相の問題発言は、さすがにこうした見慣れた「失言劇」におさまらないレベルのものといわなければならない。都議選の自民党公認候補の応援演説での「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてもお願いしたい」という発言。すべての公務員を全体の奉仕者と位置づけた憲法15条、公務員の地位を利用した選挙運動を禁止した公職選挙法136条の2、選挙権行使を除く政治的行為を制限した自衛隊法61条。明らかに不適切とか配慮不足を通り越して、違法の疑いがある発言を現職閣僚が行ったのである。

 

 稲田防衛相は、それをこれまでの私たちが見慣れた「失言」に対する対応で処理し、切り抜けようとしたのである。無理がある、という表現では足りない。

 

 疑問ということでは、彼女の場合、オマケが付いている。それは、彼女が弁護士出身である、ということだ。前記した違法という認識が彼女になかったというのは、にわかに信じられない。認識がありながら、それを乗り越えて発言できてしまったことこそ、彼女を変えた政治の世界なのか。いずれにしても、ここまで取り返しがつかない違法性が疑われることを、それなりに経験がある弁護士が口走ったという事実をどう理解すべきなのだろうか。

 

 「失言」からみえる資質が疑われる人物が、国の重要ポストにいて、また、首相に徴用されてきたという事実は恐ろしい。しかし、最も恐ろしいのは、「誤解」という言葉が登場する見慣れた「失言劇」で、ここまで違法を疑われる発言をした大臣が、堂々と辞めないで済んでしまう、トップが済むと考えてしまう、この国の現実である。



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