司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

  
 国政選挙で決まって取り沙汰されることになる「タイミング」というテーマに向けられる国会議員たちの関心が、第一義的には当落であることを有権者の私たちは当たり前のように知っている。任期、任期外を問わず、常に彼らは最も当選しやすい時に選挙に臨みたい。そこには、政治家である以上、自らの当選がこの国のためになる、という気概をそこに被せ、決して保身や権力にしがみつくことそのものにこだわっているわけではない、という答えが用意されるかもしれない。

 

 ただ、そうだとしても、われわれ有権者がこだわらなければいけないのは、選挙が選ぶ側ではなく、常に選ばれる側の都合で進められかねないことへの警戒ではないか。いうまでもなく、彼らにとっては自らが当選しさえすればいいこと、それが選挙自体の目的を達することであったとしても、有権者にとってはそうでなく、あくまで適正な人材を選ぶ重要な機会でなければならないのである。

 

 彼らの建て前は別として、選挙を挟んで、選ぶ側と選ばれる側の目的が異なるという現実。選挙を私たちにとって有効なものにするためには、まず、ここにこだわらなければならない。つまり、われわれは、彼らの論理、目的に慣れっこになってはいけないのだ。

 

 このわれわれが警戒しなければならない、彼らの選挙による目的達成は、もちろん当落だけではない。その後に彼らが実現しようとしていることを、いかに有利に進めるか。それが選挙で問われることが、得策かどうかという、これまた彼らにとっては、当たり前といっていいような発想が存在する。こうした発想になること自体、それが正面から信を問えば、選挙の当落にかかわり、実現を危ぶまれるテーマであるから、ということを当然意味してしまう。堂々と問えない政策を忍ばせるのを得策とする発想である以上、われわれからすれば、民意が離反しそうなテーマであることは十分に推定できるのだ。このこともまた、私たちは当たり前のように、慣れっこになってはいいわけがない。

 

 つまり、彼らが設定する選挙の「争点」こそ、そうした視点で有権者が臨むべき、要警戒点というべきものなのである。

 

 来る参院選で、「アベノミクス」を争点とするとした安倍晋三首相に対し、「安倍暴走政治の全体を問う」という立場を掲げた日本共産党の志位和夫委員長が、6月2日の会見で、次のような的確な指摘をしている。

 

 「2013年参院選で安倍首相は『アベノミクス』一本で闘い、多数を得たらば、2014年7月1日に集団的自衛権行使容認閣議決定を強行した。2014年12月の総選挙でもまた『アベノミクス』一本で闘い多数を握ったらば、昨年9月19日の安保法制、戦争法案を強行した」

 「選挙戦は『アベノミクス』一本で闘い、選挙が終わると、憲法破壊の政治を繰り返すということを二度やってきた。三度目は通用しないということをはっきりと言いたい」

 

 選挙の結果が、全政策の民意の反映とはならない、という人もいる。つまり、政策Aには賛成だが、Bには反対の場合でも、有権者は現実的には優先順位をつけて、最善の選択をするのだ、と。ただ、この場合であったとしても、優先順位を公正につけるのはわれわれであり、本来、その公正さは選挙において担保されなければ、われわれにとって適正な選択にはならない。

 

 彼らにとって都合が悪く、われわれにとっては需要な隠れた争点も、選挙結果によって、総括的な承認を得たとされて、選挙後に実行される、そのお決まりのパターン。そこにこそ、われわれが警戒しなければならない、教訓があるはずだ。

 

 有権者にとって選挙で重要なのは、「記憶」だともいわれる。選挙と選挙の間に、何が行われたのか、そのことをきっちりと忘れず、選択に反映させる努力をしなければ、いつまでも彼らの目的の前に、われわれの目的が達成されない選挙が繰り返されることになる。

 

 彼らが選挙で提示する設定する「争点」のご都合主義に、目を奪われず、われわれは「記憶」を呼び起こして、貴重な選択の機会をわれわれにとって意味あるものにしなければならない。そのことを肝に銘じるときである。



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