N弁護士との間接的な接触があってから、数日が経ち、郷里の兄から地元のT弁護士に会ったとの連絡が、携帯に入った。どんな感じだったのだろうかと、半ば心待ちにしていた。
電話越しに聞こえてきた兄の声は、疲れきった感じだった。すぐに、あまりいい話ではないと推測させられた。兄は、T弁護士に会い、私たちの件の依頼について、彼と話をすることができた。しかし、待ち受けていたのは、過酷な現実だった。兄からでてきた一発目の言葉は「駄目だ」。さらに彼は「120%無理」ときっぱり言い切ったのだった。
私は、すかさず、何が駄目だったのか、案件が面倒くさいため引き受けないということかと、兄に聞き返した。兄から戻ってきた言葉は、意外なものだった。「そういうことではない。この件については引き受ける、受けないは、弁護士の口からでなかった」というのだ。
それは、一体どういうことなのか。その時の詳細を聞けば、要するにT弁護士の態度は、すべてにおいて煙にまくような言い方、あるいはその場しのぎで、逃げ切ろうとする態度に終始していたというのだ。T弁護士が、依頼について、敬遠する理由は何なのだろうと思い、兄に再び聞いていくと、その時の現場を思い出したのか、兄は少々きつい口調になり私に説明してくれた。
「だから、この弁護士にすべての事件の背景と概要を説明し、弁護士が辞任した理由等を含めて、正直に話し、その上で依頼のお願いを頭を下げしたのだが、このT弁護士は、別の要件を話し始めたんだ」
この件については、「引き受けない、引き受ける」というシンプルな返しはなく、逆にT弁護士は、我々に対し、「ある条件」を突き付けてきたという。条件――。真っ先に頭に浮かんだのが、報酬の金のことだったが、そうではなかった。
T弁護士が条件として我々に要求してきたのは、原告全員が彼の弁護士事務所に顔をだし、彼が全員と会い、話を聞くこと。それを大前提ということを突き付けてきたという。流石にその言葉に対して不信感を覚えた。なぜ、依頼を受けるか受けないかの判断をするために、依頼者・市民がそこまでしないといけないのだろうか。これが真の司法なのだろうか。と疑問をもった。あるいは、原告家族の意思確認ということで、こうゆう手法を当たり前にとる弁護士がいるのかもしれない、とは考えたが、私たちからすれば、これは依頼者に対する強い不信感ととれた。T弁護士は、それを理解していないのだろうか。
その時の私たちには、どうも納得はできず違和感だけが心に残った。そして、正直、兄の感想通り、この弁護士と組んで闘うのは、無理という気持ちにさせられたのだった。