司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 弁護士探しに明け暮れる日々が続く中、地元では、以前、兄とともに、社会福祉協議会法人に同行してくれた地元紙の記者が、3部構成で今回の事件を連載記事として扱ってくれていた。彼が事件を取り上げた動機は、社会福祉協議会・幹部らの対応が、われわれ被害者に対し、あまりにも不誠実であったことと、そのヘルパーに対する、ずさんな管理体制にあった。まさに、ジャーナリストの魂に火をつけたと思われた。

 被害者家族の一人である私自身も、第三者の目で、事件の発端から背景の経緯をたどりながら、書かれている、彼が書いた記事を改めて読むと、事件の奥深さが身に染みて感じられ、また、老人介護問題そのものに対する意識が深まった感じを持った。この連載からは、メディアを通じて、この瞬間にも同じような被害で苦しんでいる家族を救いたいという思いと、今後、このような事件を二度と起こさないように、介護システムを根本から見直べきという、彼の確固たる意志が見えた。

 とりわけ、この連載記事の中で、強く共感を覚えた部分があった。今の日本の復興をしてきたのは、まぎれもなく今の高齢者であり、戦争を経験し貧しい生活を強いられながら、一生懸命働き、社会を繁栄させ豊にしたのは、彼らのお蔭であるという文章だった。この土台を築いた人たちを「厄介者」として扱うのは、人として絶対に許されぬものだ、といった文章がつづられていた。

 そこには、今回の窃盗事件の、介護をめぐる人権問題としての側面が、彼の視点に強く反映していることが感じられた。そして、率直に、今の高齢者たちに、幸せな時間と余生を過ごしてほしいという願いも感じられた。

 そして、なにより、わが父も、その一人であった。戦争を経験し、戦後の苦しい時代を乗り切り、その後、美術教論として数々名誉ある受賞をかさね地元自治体に貢献していた。いまでは、杖の力をかりなければ歩くことはできない。そんな中、派遣された介護ヘルパーが、現金を何度も繰り返し盗み、そして平穏な生活を崩壊した。生きていく生活を守るため、杖をつきながら、知人の家までお金を借りに、歩きまわらないといけなくなった。なぜ、年金暮らしの老人の金を、介護ヘルパーに窃盗され続けないといけないのか――記事は、そうした父の姿も克明に伝えていた。

 我々も以前地元にいた時、可能な限り真実は伝え、彼の取材には全面的に協力していた。ここまで事件の発端から社会福祉協議会にお金がなくなるということを相談したことや、彼らの主張する内部調査についても、記事はフォローし、偏った内容はなく、ありのままの事実関係を徹底取材し、書かれていた。

 「お金がなくなることについて相談した件」では、社会福祉協議会側が介護ヘルパーを集め、内部調査会議を行ったとしていたが、そこには、一度も犯人の女性は出席していなかったことが書かれていた。これでは、罪を犯しているヘルパーが、一度も出席してない会議は、まるで茶番という印象をもった。

 彼らの主張は、すべてのヘルパーに指導をし、介護ヘルパーは信頼関係で成り立っているとしていたが、お金がなくなる相談がきた時点で、介護ヘルパーの中に窃盗犯人がいるかもしれないという視点で客観的に見るべきだったと私は思っていた。

 さらに、社会福祉協議会・局長のインタビューでは、この事件については、「うちも被害者である」という呆れた主張が返ってきたことも書かれていた。責任の重大さ、自分たちの過失について、全く省みない主張だった。この局長の無神経なコメントが、すべてを物語っているように思えた。何が悪かったのか?なぜこういうことになったのか?監督責任を問う話をしても、通じないわけだと。

 最後に、この記者は、「公開質問状」を、県と町にこの事件についての責任の所在について出していた。結果としては残念ながら、県からは返事がきたが、事件をおこした町からこなかった。県からの回答は、各市町村に問題が発生した場合は、責任は任せているため、指導はできないとのコメントだった。私が、この事件発生後、霞が関にある「総本山」に、この件で連絡した時も、同じような回答をもらったのを思い出した。

 のちに私は、この記者から、連載記事掲載後、町が母体で経営していた社会福祉協議会は、その新聞社のスポンサーを降りたとのいうことを聞いた。真実を書くことにより、筆が曲がらなかった彼に敬意を称したい。



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