この裁判は、私たち家族の闘いではあったが、言うまでもなく、真の被害者は父であり、あくまで父の闘いであることに変わりはない。その意味でも、私は父のことがずっと気になっていた。父がこの裁判で、思う存分、闘うこと。そして、父が納得できる結論が導き出されること――。それが私と私たち家族の願いだった。
本人訴訟が選択されることで、その願いが遠のいては、元も子もない。父はもちろん本人訴訟になったことを納得していたが、この場で納得のいく闘いをしてくれるだろうか、いや、司法は父に納得のいく闘いの場を与えてくれるだろうか、そして、父の満足いく結論を導き出してくれるだろうか。
そんな不安な気持ちを抱えながら、私はいつも父を見ていた。だが、今にして思い返してみれば、そんな私を勇気づけてくれたのは、逆に父の闘志たったかもしれない。
弁護士が既にいない争点整理手続きでのことだった。法廷での本番を控え、裁判官は私たちにこう切り出した。
「今後法廷に進みますが、大丈夫ですか。相手方に対し、いくつかの案もぶつけてみますか」
裁判官が言った「いくつかの案」というのは、要は「和解」をにじませたものだった。裁判官としては、当然の選択肢の提示だったのかもしれない。
しかし、その時、「バチン」という音が、裁判所の室内に強く響きわたった。だれもその瞬間、度肝を抜かれた。そこにいた全員が、その音の方を振り向くと、そこには憤然とした父がいた。杖でテーブルを叩いた音だった。本人訴訟になって以来、いつも裁判官の話を、目を閉じて聞いていた父だったが、この時ばかりは、するどい眼光へと変わっていた。
「(加害者が)取ったものを返せばいいだけ。ごちゃごちゃいわんで、返せばいい。それだけのこと」
以前、教員を務め、正義感が強く、怖かったころの父の姿が一瞬にして戻ってきたみたいだった。父からすれば、妥協的な「和解」という選択肢がどうにも理解できなかったのだろう。被害を受けた人間にとって、それは理不尽な解決案を被害者自らが提案すること以外の何物でもなかった。私もこれまで、この社会の理不尽な場面に遭遇してきたが、改めて、裁判官の提案を一蹴する父親の、シンプルな発言に、改めてこの裁判の本質を気づかされた思いだった。
それとともに、父の闘志に内心驚いていた。年老いて、すべての面において衰えが見え隠れしていた父だったが、こんな激情化した親をみるのは久しぶりだった。
正直、本人訴訟になって、特に裁判官の心証を気にして、ついその顔色をうかがってしまうような心配ばかりが頭をもたげていた私のなかで、この瞬間、何かつっかえていたものが吹っ飛び、スッキリしたような気分になった。あるいは親が子供を守る本能が無意識の内に飛び出てきたのではないか。そんな不思議な感覚に陥った出来事でもあった。
その後、私たちは裁判官に謝罪し、冷静に父をなだめた。今は本格的な裁判前夜であり、今後、法廷に向かう前に再度話し合いをするか否かの案を裁判官はしているだけだ、と父に説明した。
「なぜ?同じ話を何度も繰り返す?」
父はやや不満げに、杖を引っ込めながら、こう言った。そして、しばしうつむき加減になり、頭を下げ、頷いて、また目を閉じた。父からすると、争点整理のなかで、何度も似たような話が繰り返され、少々うんざりしていたのだろう。
裁判官は冷静を装っていたが、表情から察するとほんの少し焦ったというか驚いた感じのように見えた。しかし、最後に父に対し優しく「まぁ、落ち着いて下さいね」と声をかけてくれた。
父の闘志が健在であることは、私たちにとっては大きな励みではあった。しかし、別の不安も頭をもたげた。本番の裁判は大丈夫だろうか。闘志はあっても、やはり記憶と体力は低下してきている。事件当時の状況などのことを繰り返し話、問答の訓練などはしていた。しかし、完全にボケいたわけでもないが、同じことを何度も説明しないと忘れることがあったため、その点を私は危惧していた。
父からすると、忌まわしい記憶を呼び起こし、忘れたい過去を再び、思い出さないといけない状況は、さぞつらかったろう。でも、その時の私たちは、本人訴訟に臨む私たちは、父の闘志が存分に発揮される、弁護士がいなくても決して後で後悔しない闘いを、父にしてもらいたい一心だった。