司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 その夜、父には、昼間警察に行ったことは話さず世間話をした。事件について、父から聞きたいことは沢山あったが、この事件のことに触れると、父の口数は少なくなり、その話題を避けた。

 信頼していた介護ヘルパーに裏切られた事が、重くのしかかっていたように見えた。落ち込んでいる父親に、私は、「昨日新聞に載った15万円窃盗事件では終わらせない」と、父親を励ました。語られない心の内は分からないが、父は、笑顔を見せてくれた。

 父親には、逮捕された犯人の名前を教えたが、すでに新聞に掲載されていたため、知っていた。すると、父親は、その新聞を保管していたらしく、それを取り出し、私にその新聞を見せてくれた。記事の部分が、黒いマジックペンで囲まれていた。その黒く囲んだヨロヨロの線に、父の悔しさが滲みでているように、私には思えた。

 父親は、何も語らず、じっと唇を噛みしめたまま遠くを眺めているだけだった。その日は、もう事件のことに触れることはやめた。黙ってはいたが、父のとてつもない悔しさが、ひしひしと伝わってきて、こちらも語る言葉を失ってしまっていた。

 翌日、私は町社会福祉協議会幹部を姉の自宅まで呼び出し、全員正座させて、事件の詳細について話を聞いた。彼らの謝罪からのスタートになったが、再三、金銭紛失に関して苦情を申し立てていたにもかかわらず、犯罪の温床になり果てていた介護現場を事業者自らが調査しようともしなかったのかについて、私は冷静に問いかけた。

 社協側は、「ヘルパーとは信頼関係で成り立っている。100%信頼していた」の一点張りだった。さらに「まさか、あのヘルパーが」「あの時、気がついていたら」と、まるでどこか他の事業所で起こった事件でも語るような言い訳を口にした。しまいには、驚いたことに、窃盗されたのは、あたかも父に問題があったかのようなことまで語り始めた。

 私は、社協の職員が事件後、「介護を社協で受けなくうけなくてもいいじゃないか 」と姉に言ったことを思い出し、「なぜ、被害者側が、そこまで言われないといけないのか」とも追及した。

 彼らの回答は、終始歯切れが悪かった。明らかに彼らには、監督責任という自覚に欠けていた。社会福祉協議会の理事長は町長が兼務している。他の民間の介護ヘルパー派遣事業所と違い、社会福祉協議会は人事、経営共に行政と一体化している。「行政は正しい」という前提に立つと、「悪いのは行政組織以外のもの」という思考になるのだろうか、と感じた。

 だが、町の社会福祉協議会のヘルパーが、窃盗で逮捕されたのは事実である。この期に及んで組織体制に問題がないことを強弁する余り、「金を盗まれる老人が悪い」という発想に行き着いたようにとれる、彼らの対応が信じられなかった。 

 約2時間、話し合ったが、話は噛み合ず、最後は水掛け論になった。無責任な対応にうんざりした私は、1週間以内に反省文を提出するよう「宿題」を出した。反省が見られない場合、法廷で争う覚悟であることも示唆した。

 予定していた1泊2日の滞在では時間が足りなかったが、この話し合いで、この事件の奇妙な背景が、少しずつ見えてきた。私は、実家に帰り、昔の自分部屋で、もう一度、この行政対応の不可解さに思いをめぐらせた。窓を開けると、九州山脈 尾鈴連山がどっしり構えている。風景は何も変わっていないのに、米国にいた10年間に、故郷の人々の心は変わってしまったのだろうか? 逮捕された介護ヘルパー、町社協の対応を思い出し、郷里に裏切られたように感じていた。

 その夜、姉が保管していた社協の介護記録を近所のコンビニで何百枚とコピーした。ニューヨークの兄と事件の全容を分析し検証するためである。今思えば、この日から、私たちの戦いは、第2ラウンドに突入していた。



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