長い争点整理手続きが終わり、いよいよ公判当日の朝を迎えた。私たちが、本人訴訟を決断して、腹をくくって臨む裁判の日でもあった。その日は、天気もよく、おだやかな朝だったが、それとは裏腹で私たちはバタバタと落ち着かなかった。裁判所に提出する最終的な文書、資料を、裁判所に向うクルマに乗る直前まで、あれやこれやと手直しするあり様だった。
クルマの中では、もう一度書類をみながら、私が兄に質問する形で、裁判での問答練習を繰り返していた。同時に父にも想定した質問を繰り返し行った。どうも父には、この法廷の場での想定した練習がしっくりこなかったみたいだった。「被害者なのに、なぜこちらが出向き、このような時間のかかったことをしなければならないのか」が口癖だった。「本来、弁護士がいれば、ここまでする必要がなかったのかもしれない」。そんな気持ちも度々、頭をよぎった。
車で裁判所までおよそ1時間かかる距離だが、この日はわずか10分程度に感じた。時計を針を見ると、裁判まで時間がなかった。もう今までの争点整理する手続きではない。今日の裁判は、傍聴席もあり、多くの人間がくる日だ。しかし、場合によっては、今日で終結してしまうかもしれない。
車を降りると、いつになく緊張している自分に気が付いた。やはり、初めての本人訴訟というプレッシャーの違いを感じていたのだろう。トイレへと直行した。
用をたし、気を引き締めて法廷の扉を開け、あたりを見渡すと、傍聴席には数十人の傍聴者がズラリと並んでいた。その中には、地元の新聞記者らしき人もいた。既に刑事裁判を通して、地元では話題になっている事件だ。顛末に関心が集まっているのを改めて感じた。
どういうわけか、見覚えのない数名の方々から深々と頭を下げられたり、挨拶をされたりした。彼らは一体何者だろうか。そのときは何も考えもしなかったが、今振り返ると、おそらくどうも彼らは、司法研修生だったようだ。法曹の卵たちに、この事件はどういう「教材」になるのだろうか。
中学のときの同級生も傍聴席に座っていた。彼もこの裁判に興味があったのだろうか。そんなことが、あれこれと頭に浮かんでは消えた。少し遅れて、相談に乗ってもらった例の司法書士も法廷に入ってきた。
相手方の弁護士がどっしりと座り構えているのが目に入った。よく見ると、随所にヒソヒソ話をしている。最終打ち合わせでもしているのか。ここで警戒せねばないないのは、二人の弁護士のうち、社協側の弁護人だ。彼はベテラン中のベテラン。相当な場数を踏んでいるため、態度に余裕があったようにみえた。
やはり素人相手という侮りがあるのだろうか、プロの彼らから発するオーラには、楽勝ムードが漂っているように思えた。緊張が、さらに高まるのを覚えた。