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 〈「考えられる一つの参加形態」という説明〉

 

 司法制度改革審議会に前記意見を提出したころ在任していた最高裁裁判官は、2011年11月大法廷判決時には全て退官し、その判決には関与していない。しかし、司法制度改革審議会での前記意見表明は、個々の裁判官の意見ではなく、その権限のあるなしに拘らず、最高裁という国家機関の意見であれば、それは裁判体の意見に匹敵するものであり、その意見を無視した、そのような意見の表明がなかったかのような行為をするについては、議論された参加する国民に評決権を与えることの憲法上の疑義の具体的内容と、それがいかなる理由で解消し得たのかの説得力ある説明が必要であろう。変節が悪いのではない。その変節の説明責任を果たしたか否かが問題なのである。

 
 司法制度改革審議会に前記のような意見を表明したのは間違いであったというのなら、それもまた一つの弁解にはなろう。しかし、最高裁はそのような弁解はしていない。西野教授は、2007年秋の段階での最高裁事務総長大谷剛彦氏はある雑誌でこの大方の意見の一致を見たという最高裁の意見は「考えられる一つの参加形態に過ぎなかった」と述べていることを紹介している(前掲「さらば裁判員制度」p137)。

 

 「参審制について憲法上の疑義を生じさせないためには評決権を持たない参審制という独自の制度が考えられよう」との提言は、最高裁の当時の裁判官が単なる思い付きで提言したものではなく、参加する国民に評決権を与えることについて、憲法解釈に関する議論を経た上での慎重且つ最適の案としての提言であった筈である。

 

 前述のとおり私はかかる政治的提言はなすべきではなかった、最高裁の越権行為だったと考えるものであるがそれはひとまず置く。それを「考えられる一つの参加形態」と言ってのける大谷総長の表現について、西野教授が「すさまじい話」「国民を蔑視していなければ言えないセリフ」と断定するのは尤もなことである。

 

 

 〈最高裁の政治的越権行為〉

 
 その後最高裁は、前記拙稿において批判したように、上告趣意とされていない事項についても、あたかも上告趣意とされたかのように判決文に記載して判断を示し、また、判決末尾には裁判員制度旗振り役の真骨頂的賛辞を展開するという恐るべき政治的行為をするに至った。

 

 その判例解説(西野吾一・矢野直邦「法曹時報66巻4号」p227)では、「最高裁として裁判員制度の積極的意義、同制度への期待を述べたものと理解することができよう」と述べられている。解説者西野吾一氏は前最高裁調査官としてその判決の原案の起案に関与していたのではないかと思われるが、そのような最高裁の意見表明には何らの問題意識を持たなかったのであろうか。

 
 以前にも述べたが、上記の上告趣意の捏造については西野教授も指摘しているが(前掲『さらば裁判員制度』p159以下)、私はこの問題は、単に最高裁が余計なことをしたなどという軽い問題ではなく、司法機関として絶対に許されない行為であり、国民はこれを徹底的に糾弾し、批判し続けなければならないと考えるものである。



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