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 〈主文に関係ない法令合憲性審査〉  

 

  第1審千葉地方裁判所刑事第1部における裁判において憲法問題は全く論じられず、第2審東京高等裁判所第11刑事部における控訴審に至って初めて裁判員法の違憲論が小清水弁護人によって展開されたが、その控訴の趣意も憲法80条1項、76条2項違反を言うのみで18条違反、76条3項違反の主張はされてはおらず、従って東京高裁も憲法80条1項、76条2項違反の点についてのみ判断を示していた。

 

 しかるに前記大法廷判決は、小清水弁護人の上告趣意の要約として同弁護人が特に上告趣意とはしていない憲法18条後段違反と憲法76条3項違反の問題を全く独自に上告趣意として取り上げ、判断してしまったのである。

 

 この最高裁の行為はいかなる問題として捉えられるべきものであろうか。

 

 そもそも憲法81条によって終審としての法令審査権が最高裁判所に与えられた趣旨は、最高裁判所に対し憲法裁判所としての権限を与えたものでなく、その法令審査は具体的な争訟を裁判するために必要な限度において行われるべきものである。裁判所は、その裁判をするのに必要のない法令については、その合憲性を審査することはできない(宮澤俊義「日本国憲法」コンメンタール(以下「宮澤前掲書」として引用)p692)。すべて法令はそれぞれの制定者によって合憲と判断された上で制定されるものであり・・・最高裁判所が法令の合憲性を特に審査することなく、だまってこれを適用した場合は・・・そこにその法令の合憲性に関する最高裁判所の判断が存するということはできない(宮澤前掲書p676参照)。つまり、そのような形でされた判決は、いわゆる判例とか先例としての価値を全く有しないということである。

 

 前述のとおり、裁判所は、合憲性の審査を、ある法令を違憲とする当事者の主張に基づいて行うのが原則である。繰り返すが、裁判所は、その裁判をするのに必要のない法令についてはその合憲性を審査することができない。その裁判に関係のない法令等についてまで裁判所が合憲性の審査をすることができるとすると、裁判所は具体的な争訟の裁判においてしか法令の合憲性審査権を行使することができないとすることの意味が失われてしまうおそれがある。この意味からすると、裁判所が、その裁判書において、その主文の判断に直接に関係のない法令の合憲性の判断をすることは妥当を欠くだろうと説かれている(宮澤前掲書p628、p629)。

 

 

 〈弁護人が主張したのような体裁採用〉

 

 前記のとおり大法廷判決は、上告人弁護人が態々明確に上告趣意とはしない旨を明記し、被上告人も上告趣意とは捉えていない事項を、弁護人が付記した文書の中の上告趣意の脈略とは全く関係のない感想的なものの中に偶々「苦役」という言葉を発見し、また、憲法80条1項違反の上告趣意の中でその根拠とした文言中に偶々「憲法76条3項違反」との表現があるのを奇貨としてこれらを強引に上告趣意として取り上げ、判断を示したものである。

 

 最高裁は、前述の宮澤氏の著書の中の「妥当ではない」「審査することはできない」という意見に抵触しないように、実に巧妙に弁護人がさも上告趣意として主張したかのような体裁を採用した。これは明らかに国民を欺罔するものである。かかる経過によって上告趣意として構成され、それについて示された判断は、その内容如何にかかわらず憲法81条違反の判断であり、判決理由としての意味も拘束力もないものである。



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