〈控訴論旨と検察官答弁書の捉え方〉
この点について、原審東京高裁の判決は「論旨は、要するに、原審の判決裁判所は裁判官3名と裁判員6名によって構成されているが①裁判官でない裁判員が刑事裁判に関与したという点で、下級裁判所の裁判官の任命方法を定めた憲法80条1項に違反し」と論旨をまとめている(②の論旨は特別裁判所に該当する旨の主張である。)。つまり、原審の判断は、弁護人の主張を、裁判員の任命方法が裁判官と異なること、そのように選任された裁判員の加わる裁判の憲法違反性を主張するものと解している。
それに対する判断として「憲法80条1項は、あくまでも下級裁判所の裁判官についてその任命方法を定めたものにすぎないと解されるから、裁判官でない者が刑事裁判に関与したという一事をもって同条項違反の問題が生じるものとは考えられない。」と判示している。その原審の判断内容が、控訴の論旨を、憲法が国民の参加を許容するものか否かの問題と解してしまい、その点で控訴の論旨と噛み合った判断をしてはいないけれども、控訴の論旨を裁判員の選任方法に関するものと解した上で判断していることは間違いがない。
また、上告審における検察官の答弁書も「弁護人の所論は、裁判員法上、裁判員選任手続によって選任された裁判員が、各種権限を有し、下級裁判所を構成される点は、下級裁判所裁判官の任命手続を定めた憲法第80条第1項に違反するというものである。」と捉えている。
これら、原審判決のまとめた控訴論旨、上告審検察官答弁書記載の上告趣意の捉え方は、いずれも裁判員の任命手続と憲法80条1項との整合性の有無に弁護人の真意があるものと捉えている。その捉え方が正当なものであることは上記のところから明らかであろう。
〈大法廷の上告趣意記載の虚偽性〉
しかし、大法廷のこの点の上告趣意の記載には、驚くべきことに、この裁判員の任命方法と憲法80条1項の関係の記述が全く抜け落ち、憲法80条1項を「下級裁判所が裁判官のみによって構成されるものと定めている」とその主張にまとめ、いわゆる国民の司法参加が憲法80条1項上許容されるものか否かという論旨にすり替えてしまっている。これは明らかに、弁護人が最高裁に判断を求めている内容とは異なるものである。
弁護人は憲法80条1項の解釈として「下級裁判所が裁判官のみによって構成されることを定めたもの」などとはどこにも記していない。弁護人の前記上告趣意を見れば、そこに記されているのは、その裁判官と裁判員のそれぞれの選任方法の違いに関することのみである。また弁護人は国民の司法参加が憲法に違反するなどとも記していない。弁護人の論法に従えば、仮に裁判員なるものが憲法80条1項に従い最高裁判所の作成した名簿に基づき内閣総理大臣によって任命されるものであれば憲法に違反するものではないとも解され得るものである。
最高裁は、原審及び上告審検察官が正しく理解していた弁護人のその上告趣意についての判断を示さなかった。元東京高裁判事大久保太郎氏は「裁判員は実質は裁判官であるが、かかることは憲法80条1項前段の『下級裁判所の裁判官は最高裁判所の指名した名簿によって内閣でこれを任命する』との規定に違反する」と述べている(弁護人も引用する判例時報1810号p3、同著者「裁判員制度案批判(続)上、判例時報1772号p4」)。弁護人の上告趣意は正にこの内容であった。
上告趣意として憲法80条1項について「下級裁判所の裁判官の任命方法」を定めるものと解することと、大法廷判決のように「下級裁判所が裁判官のみによって構成されることを定めるもの」と捉えることとは全く異なる。