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 〈「解釈改憲」に類似した行為〉

 

 国民参加型の裁判において、参加した国民に評決権を与える制度について、前記のとおり、それは違憲の疑いありと解していたことについて、違憲の疑いはない、合憲であると表明することは、集団的自衛権に関する行政機関トップの解釈変更とは内容もレベルも異なるものではあるけれども、同一国家機関における解釈の変更であれば解釈改憲に極めて類似した行為と見られるものであることは避けられまい。

 
 周知のように、最高裁は2011年11月16日大法廷において裁判員制度合憲判決を言い渡した(平成22年(あ)第1196号覚せい剤取締法違反、関税法違反被告事件[刑集65巻8号p1285])。同判決に関して、私は既に3回に亘って批判意見を述べた(「最高裁の裁判員制度合憲判決を批判する」拙著『裁判員制度廃止論』p130、「裁判員辞退の自由を認めた最高裁」同著p198、「上告趣意を捏造した最高裁――最高裁2011年11月16日大法廷判決を三たび批判する」司法ウォッチ2013年12月~2014年3月)。

 

 また、西野喜一教授は「裁判員制度合憲判決にみる最高裁判所の思想と問題点」(法政理論第44巻第2、3号、2012年)、「最高裁判所と裁判員制度――変節の悲劇」(同教授『さらば裁判員制度』ミネルヴァ書房2015年、p131以下)で批判し、他に「最高裁は国民をナメているのか」(木村草太『憲法の創造力』NHK出版新書、p84以下)等の批判意見が明らかにされている。

 
 

 〈公平な資料提供者に徹すべきだった最高裁〉

 

 ここではその大法廷判決の判断内容の問題性は置いて、その合憲判断と前記違憲疑義意見との余りに大きい落差、前掲西野教授のいわゆる変節と指摘される事態は何故に生じたのであろうかを考える。

 
 最高裁は司法権力の最高の地位にあり、あらゆる法律争訟の最終の決定権者である。国民の代表である国会の定めた法律について具体的争訟においてそれが合憲か違憲かが争われた場合には、そのいずれかの判断を最終的になし得る権限と義務を付与されている(憲法81条)。その判断は良心に従い、独立して行なわれなければならず、憲法及び法律にのみ拘束されるべきものである。また最高裁は、国民の多数者の意思と対立しても、少数者の基本的人権を擁護することを使命とする窮極の国家機関である。

 
 その国家機関は、そもそも、国家の行政政策について提言をする、或いは立法作用に容喙するような中立公平性を疑われる行為をしてはならない。

 
 司法制度改革審議会において、最高裁は、同委員会からの要請があったのかどうかは分からないけれども、前記の「意見」を委員に配布した。しかも、それは単に事務方の意見ではなく、裁判官会議で議論を経た上での「大方の裁判官の一致を見た」提案であったという。

 
 最高裁判所が国家の政策について意見を述べたり提言したりすることが現にどの程度行われているのかは知らない。司法制度改革に関する審議となれば、司法の中枢を担う最高裁判所としては一言あって然るべきとの思いがあったのかもしれないが、国家の司法の在り方という政治問題を決めるのは国会であり、三権分立の一翼を担う、しかもその国会が成立させた法律について最終の違憲審査権を有し、それ故に政治権力からの高度の独立性が要求される司法機関である最高裁としては、その司法の在り方を審議する行政機関に対しては、司法に関する豊富な情報の保有者として、求められる資料を恣意的に選別することなく公平に提供することは必要であり、且つそれが司法制度改革の動きに対してとり得る限界であって、前記のような意見の表明はすべきではなかったかと私は考える。宮澤俊義教授は「裁判所以外において、最高裁判所に憲法の解釈について意見を吐かせる制度はおそらく……憲法の精神に適合するものではあるまい」と述べる(コンメンタール憲法p692)趣旨からすれば、大いに問題のある行為であった。

 
 下手に前記のような意見を、しかも裁判官会議でお墨付きを与えて委員に配布し、その説明まで事務方に委ねたがために、最高裁はこの高度に政治的な国民の司法参加という問題について抜き差しならない関係になってしまい、ひいてはその制度の広報宣伝義務を課され(裁判員法附則第2条)、制度推進の旗振り役を担わされてしまったと考えられる。

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