結論から言えば、あの被告豹変の後も、裁判自体はたんたん続いていった。こちらは、あくまで冷静に対応し、物の見事に「完封」したといいたくなるくらいの展開に思えた。全く手探りといっていい本人訴訟初舞台としては、よい感触を得て、すこしほっとしていた。そして、正直、どこか裁判官の対応にも期待できるような、そんな気持ちになり始めていた。
当初、不気味な余裕の表情に、こちらとしても深読みしてしまった相手側弁護人の顔にも、冷静さを装いながらも、やや不安げなものが見え始めた。被告の態度が裁判官の心証に与える影響をさすがに気にし始めたのか。真実のところはもちろん分からなかったが、何か戦術が隠されているのではないか、と考えたのは、こちらの疑心暗鬼だったようにも思えてきた。
尋問が一区切りつくと、裁判官は「いかがいたしますか」と切り出した。和解の提案だった。被告の不遜な態度がさんざん晒されたあとに、確認するようにそう言ってきた裁判官の姿勢には、なぜか優しさを感じた。
私と兄は立ち上がり、「裁判官には、感謝しおります」と礼を述べる兄とともに、その場で深々と頭を下げた。そして、兄はこうが続けた。
「素人が裁判に出て、本人訴訟でご迷惑をおかけしました。こちらが、言いたいこと、相手の何が間違っているかを、裁判官は、すべてを聞いてくださいました。なので、私たちは、何の後悔もございません。裁判官が和解という案をご提示されるのなら、われわれ家族はその案を受け入れます」
裁判官は、うなずきながら「分かりました」と答えた。
一方、裁判官が社会福祉協議会(社協)と被告の弁護人側に、回答を促すと、まず社協の弁護人が「判決を望みます」と即答し、この提案を一蹴した。同様に、被告の弁護人も「同じく」と続けた。はじめからクライアント側から求められていた回答だったのだろう。全く予想していなかったわけではなかったが、「和解」をするつもりは毛頭ないという彼らの考えが、はっきりと伝わってくるものだった。
この被告側の表明に、法廷内が少しざわついたようにみえた。傍聴席にもこの対応を意外なものとする見方があったのだろうか。被告側の彼らに何か勝算があってのこととは思えなかったが、とにかく彼らが和解という形で、矛を収める気はないのだ。和解を拒否する以上、判決の方が自らに有利なものが期待できると考えてのことなのか、それともどちらにしても飲める和解提案にはならないと踏んでのことなのか。そんなことが頭をめぐった。
こちらに弁護士がいたならば、当然、彼らの真意をどう見るか、プロの見方を尋ねていたところかもしれない、と思った。しかし、それも叶わない私たちは、とにかく今は彼らの「拳」を受け入れるしかない。
裁判官は、「はい」とだけ答えた。判決は二週間後に迫っていた。