〈「幸福に人生を全うする権利」〉
「戦後の日本人の心のよりどころは、日本国憲法、特に9条」と述べました。その日本国憲法が、9条が最も大事にしているもの、つまり、究極の価値は何だと考えているかについて、述べておきたいと思います。
結論から言ってしまえば、それは人命であり、基本的人権であると確信しています。それを一言で分かりやすく言えば、「幸福に人生を全うしたいという権利」と言えそうです。誰だってそれが一番大事なのです。その誰にとっても一番大事なものが「究極の価値」であると、日本国憲法は考えているのです。だから9条となるのです。
「権利」とは、「一定の利益を主張することができ、また一定の利益を受けることができる資格」(角川必携国語辞典)ですから、誰にも「幸福に人生を全うする資格」があるということです。それが誰にとっても一番大事なのですから、究極の価値はそれだという結論になるのは当たり前です。誰にとっても一番大事なことこそ、国は究極の価値としければならないのです。国は、これを侵害することはできないのです。その約束を明文化したものが憲法であり、それを実現する基本的方法の中核が9条です。
誰もが「幸福に人生を全うする」という以上の価値は、この世の中にはありまん。死んだ後のことは、生きている身としては分かりません。それは宗教に任せることにし、今を生きている身としては、人命と基本的人権以上の価値はありません。それは、憲法より以前にある「永久不変、世界普遍の真理」です。
その「永久不変、世界普遍の真理」を、日本国憲法は究極の価値としているのです。ですから、人命を奪い、基本的人権を侵害する戦争は、日本国憲法の精神に最も反する行為なのです。
戦争は、どんな理由をつけても許されない「絶対悪」なのです。この「永久不変、世界普遍の真理」は、憲法解釈を変更しても、憲法を改正しても、変わらないものです。そもそも、それは解釈で変えたりてきないのみならず、憲法改正手続きでも、できないことなのです。どんな手続きを踏もうとも、「絶対悪」は絶対悪なのです。
「旧・憲法の心」では、「この世でもっとも大事なものは何か」というタイトルで、次のように述べました。
「人権は、この世の中においては究極の価値である。この世の中では、人権以上に大事にされなければならないものはない。『人権がもっとも大事なもである』という考えに基づき、全てのことが考えられなければならない。ものを計るときに、人権に反しているかどうかという観点より計られなければならない。『人権は、この世における究極のハカリ』ということになる」
このように「人権が究極の価値だ」と述べたうえで、基本的人権について、さらに次のように述べました。
「『人権』という言葉は、普段耳にもし、目にもする。誰にとっても馴染みのある言葉だ。広辞苑は『人間が、人間として生まれながらに持っている権利』と書いている。もちろん、この説明は間違っていない。しかし、『人間が、人間として生まれながらに持っている権利は、具体的に何か』という点についてまでは説明していない」
「角川必携国語辞典は、『人間が人間らしく生きるために、人種や身分によって左右されずに当然に持っているべき権利と自由』と述べている。これも間違いではない。ただ、ここでも『人間が人間らしく生きるために、当然に持っているべき権利』とは何であろうかと考えると、私の中では必ずしもはっきりしているわけではい」
〈「基本的人権」で矛盾なく理解できる日本国憲法と9条〉
「権利」とか「自由」という言葉は聞き慣れた言葉ですが、その意味・内容が私にはストンと腑に落ちてこないのです。私がとことん突き詰めて考えていなかったからです。私たちがその意味・内容を分かりきっていると思い、普段使っている言葉でも、よくよく考えてみると、「それはどういう意味なのだろうか」と思う言葉が少なくありません。特に法律用語には、そのような言葉が多い気がします。「公共の福祉」などは、その代表です。言ったり聞いたりしていますが、その意味・内容を正確に言える人は少ないと思います。
「基本的人権」「自由」「平等」などという言葉も、その例である気がします。基本的人権を一言で言い表すことは、意外と難しい気がします。いろいろ考えた挙げ句、「旧・憲法の心」では、次のように述べました。
「どのように基本的人権を表現したら、わかりやすく、かつ的確に言うことができるか。なかなか妙案はない。しかし、現時点で思いつくのは、人権とは『人がこの世に生まれて死ぬまでの間、その命を幸福に全うする権利である』というのはどうであるか。もう少し詰めて言えば、『幸福に人生を全うする権利』と言えるのではなかろうか」
日本国憲法が保障する基本的人権を、一人一人、誰もが持っている「幸福に人生を全うする権利」だと解釈すれば、不十分ではありますが、一応分かった気になりました。腑に落ちたというか、納得できそうです。それが、取りあえず私の「基本的人権」に対する解釈ということになります。
基本的人権をそう解釈すれば、日本国憲法の究極の価値は「基本的人権」であると考えることに異論はありません。せっかくこの世に生を受けたのですから、誰だって「幸福に人生を全うしたい」と考えるのは当然のことです。それが誰もが持っている究極、つまり、物事を突き詰めていき、最後に行く着くところの価値なのです。この世では、これ以上大事なものはないのです。
その基本的人権を最大限尊重するのが、「日本国憲法の心」ということになります。そう考えますと、日本国憲法は全体に矛盾なく理解できますし、説明できるのです。
日本国憲法が、9条で例外なき「完全戦争放棄」を宣言したことも、よく理解できるのです。戦争は、自国人も他国人も関係なく、人命と基本的人権を奪う行為ですから、自衛であろうと防衛であろうと、許されないということになるのです。「自衛戦争はできる」という解釈は採れません。自衛戦争も殺し合いです。人命の奪い合いです。どんな理屈をつけても、どんな修飾語をつけても、戦争は許されないのです。
一人一人が持っている基本的人権は、国のためであっても、侵害できないものなのです。それを保障、つまり、国が侵害しないために、日本国憲法は「戦争を放棄」し、さらにそれを保障するための具体的方法として、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を9条に明記したのです。
このように考えれば、日本国憲法全体として9条を矛盾なく説明できるのです。9条の1項と2項の整合性も理解できるのです。
(拙著「新・憲法の心 第14巻 戦争の放棄〈その14〉」から一部抜粋)
「兄」シリーズ(1話、2話)、「田舎弁護士の大衆法律学 岩手県奥州市の2つの住民訴訟のその後 (1)駐車場用地事件」最新刊 本体1000円+税 発売中!
お問い合わせは 株式会社エムジェエム出版部(TEL0191-23-8960 FAX0191-23-8950)まで。
◇千田實弁護士の本
※ご注文は下記リンクのFAX購買申込書から。