司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 東京へ戻り、民事裁判の弁護士を探す手さぐりの日々が続く中、老人介護問題に関する専門の先生はいないか、と思い始めた。都合よく見つからないのは、百も承知で、かたっぱしから、親交の深い友人に声をかけていった。

 しかし、話は聞いてくれたが、反応は鈍かった。この事件が老人介護の将来へ、警鐘を鳴らすテーマとなることを指摘した。しかし、現実問題として、弁護士を紹介してくれといっても、なかなかいい返事を聞き出すことはできなかった。

 友人の知り合いの弁護士の名前が浮上したが、専門分野が違うということだったので、結局、今回は見送った。今振り返れば、私の周りには、民事裁判自体を体験した人物は一人もいなかった。弁護士を紹介してほしいということそのものが、無理だったのかもしれない。心あたりのある友人リストを見ても、底をついていた。悩んだ挙句、会社の得意先で、気心を許している親しいクライアントにまで事情を説明し、相談したか、やはり、いい回答は貰えなかった。

 結局、すべて断られた。その最大の理由は、民事裁判で負けた時のリスクだった。万が一、紹介しても負けた時のことを考慮すると責任はとれないということ、相手に迷惑がかかるということ、そして、これがきっかけで人間関係がこじれる可能性もあるということだったのである。

 確かに、勝利する補償はどこにもない、それゆえ、責任はとれないという点は、ある意味、納得もした。一般の人間が、弁護士を人に紹介するときの、これが偽らざる意識だと感じた。正直、こちらとしては、彼らは、何をもって「勝利」と考えているのだろうか、こちらは、まだ、弁護士と会って話もしてないのに、と疑問も沸いてきたが、深追いはしなかった。

 実際問題、人を紹介するということは、難しいものだということを実感した。とはいえ、事件をこのまま野放しにするわけにはいけないという思いは募るばかりで、眠れない日々は続いた。そんな中、黙々と兄からコピーしてもらっていた刑事裁判記録の一部分を見ていた。投影されたオリジナルコピーは、ぴんぼけだったこともあり、文字通り、目を凝らして検証していた。

 すると、驚いた事実がいろいろと判明してきた。これはコピーの一部分だ。まず、私が着目したのは、犯人の通帳の内容だった。振り込まれている給料とは別に数十回も窃盗している金を数万円単位から多いときに十万円単位で貯金しているではないか。ざっ見ただけでも、客観的に十分に立証できるのではないかと思えた。

 では、どのような経緯で刑事裁判は、「15万円窃盗」という結論になってしまったのだろうか。犯人の通帳を見ながら、改めて複雑な心境に陥った。やはり、このまま引き下がるわけにはいかないという強い気持ちが湧き上がってきた。そして、犯人の窃盗はもとより、事件の全貌を絶対暴きたいという、強い意志も生まれてきた。



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