これからは私たちの裁判を、本人訴訟で闘う意思を裁判所へ伝えた後、それを知った周囲からの、「弁護士なしで本当に大丈夫なのか」と不安視する声が、私の耳にも届くようになった。
当初、自らを鼓舞するように、「やるしかない」と周囲に発言していた私のなかに、ある気持ちが芽生えてきていた。
「法曹界に風穴をあけてやる」
今考えれば、あまりに大それた言い分だが、これが、ある意味「決死の覚悟」で弁護士なしの民事裁判に挑む、私たちの本当の強い気持ちの表れたったことだけは確かだし、司法も法曹界も知らず、現実を見せ付けられたことによる不信感がたどりついた、ひとつ決意だったようにも思う。
あるとき、司法に携わっている出版の方からは、こんな言葉をかけられたことがあった。
「弁護士を舐めたらだめだよ。彼らはプロ中のプロ。あらゆる駆け引きごとを網羅し、百戦錬磨達。ど素人が、その場の勢いでその土俵にあがることは危険ですよ」
私は、「ごもっともだ」と思いながら、うなずいて聞いていた。
弁護士は、多くの知識を得てこの世界に入ってきている。甘く考えて、正義を貫くとか、あなた(素人)の持っている正論を並べたからといっても、まかり通る世界(司法)じゃない――彼が言ってきたことは、そういうことだった。ある意味、私の立場を深く理解した上での忠告だと思い聞いていた。
彼は、私の仕事上のクライアントでもあった。ここでもし、私たちのありのままの経験を話し、私たちが味わってきたことを彼にぶつけたならば、どうなるだろうか。彼の「正論」を打ち返すような反論になるのだろうか。そもそも果たして、この私たちが味わった経験が伝わるだろうかーーそんなふうに葛藤する気持ちが、湧き上がってきた。
お茶を濁しながら、「そうですね」と言って、その場を引くことは容易かった。しかしながら、またこちらに営業で来た時、必ずこの件に話は及ぶだろう。
そう思った私は、うつむいていた顔を少し上げ、しばし考えた。親身になって、熱く私に語りかけてくれている彼に対し、その場しのぎの適当な返答では失礼に当たらないか。
そう思うと、自然と私は彼と向き合うことを決め、話すことを決めた。