司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 私は、ある事件がきっかけで、司法と否応なしに深く向き合ことになった。

 普段の生活を日々過ごしている一般市民にとっては、余程のことがない限り、「司法=裁判」は縁のない話だと思う。まして、ある日突然、自分の身内が原告となって裁判の当事者となり、さらに自分自身までもが原告になるなどということは、普通の市民からすれば、およそ非現実なことであろう。

 自分自身が考えてもみなかった出来事との不幸な遭遇――「司法=裁判」との遭遇は、一言でいえば、まさに降って湧いたような災難みたいなものであったと同時に、今、振り返ってみても、私の人生にとっては、「想定外」なことだった。

 突如として、刑事事件の被害者である私の家族を助けるため、刑事裁判と関わり、さらにそれに続く民事訴訟の原告となり、しかも、それを本人訴訟で闘うことになったのである。

 今でも、あの時の現実は、地獄の日々のようなものに思える。

 また、この予想もしなかった体験は、私と家族に大きな変化をもたらした。
この体験を通じて、私たちは、日本の司法と司法関係者に対するイメージと見方が大きく変えることになったのだ。

 それは、皮肉にも「身近」でなかった司法が、「身近」になった瞬間に、想像とかけ離れた司法の現場を見て、その現実に触れることになったからである。

 私たちは、本人訴訟を通じ、見えてきた現実を受け止めながら、常に葛藤し、悩む連続だった。そして、その中で、それまで自分の中で、ぼやけた存在だった日本の司法に、やがてピントがあい、真実が見えてきた。

 だが、それは決して本当の意味で「身近」な存在の司法なく、むしろ、市民を見放す、ゆがんだ司法だった。ある意味信頼していた司法関係者から、見放された経験から「本人訴訟」へと歩みを進めることになったが、それは、結局、司法への失望感を深める過程だったように思える。

 司法が語られる公の場で、市民のこうした体験は、あまり伝えられてないように思える。また、法曹関係者も、自分たちが本当に市民からどのようにみられているのか知らないのではないだろうか。

 このシリーズでは、私の体験を通じ、一体、日本の司法制度の末端で、司法と司法関係者が、市民の目にどう映り、どう感じたのか、その現実をありのまま伝えられればいいと思っている。

 今は、それが、弱者・市民の司法に変わっていくために、少しでも参考になるものになればいいと、一市民として思っているところである。



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