司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 私たちと入れ替わりに、社協側と裁判官が話している間、私たちは裁判所の寒々しい廊下で待っていた。中でどのようなやりとりが交わされているのかは、もちろん気になったが、私はあくまで作戦として、裁判官に提案した「謝罪広告」への反応を含めて、先方が前進的な回答はしてこないだろうと踏んでいた。彼らの出方に期待できる余地など、正直、全くなかったのだ。

 

 私は、ふと社協の面々が、裁判所に来たときの様子を思い出していた。社協事務局長をはじめとする何人かは、ふてぶてしい態度で、その顔は真っ赤だったのだ。そして、それは緊張感からくる紅潮というものとは、およそ異なり、一見して酒に酔ったことによるものに見えたのだった。

 

 それを裏付けるように、やがて酒の匂いがしてきた。初めは二日酔いなのかと思った。しかし、その時の私の推測では、その匂いの強さと顔の血色から、ここに来る直前に、お酒を飲んできたとしか思えなかった。彼らは、裁判所には絶対顔を見せない町長兼社協理事長に、強く何か指示されたのだろうか。私にはどうしても酒でも飲んで、気を大きくして裁判所に来たとしか思えなかった。

 

 しかし、私からすれば、酒の力を借りて、解決できる問題ではい、という気持ちだった。呆れるしかなかった。

 

 裁判が始まる前、印象に残るシーンもあった。相手方の弁護士が、そのお酒を飲んできたとみられる面々に、忠告するように何度も小声で語りかけているのだ。

 

 「用意周到」「相手方は、用意周到ですよ」。そんな風に繰り返し言っているように聞こえた。社協弁護人からすると、どこか追い詰められている気持ちもあったかもしれない。彼の少し強張った表情から察するに、裁判官の前での心証を考えていたのだろうか。さすがに、礼儀をわきまえるように忠告するとともに、あえて身内に、気を緩めるな、と言わざるを得なかったのではないか、ととれた。

 

 今、振り返ると、あの代理人弁護士も、あのクライアントには苦労したのではないだろうか。こんな大事なときに、お酒を飲んでくるとは、さすがに弁護人も困ったことだろう。

 

 それにしても、非常識としか言いようがなかった。怒りよりも呆れかえるばかりだった。

 

 付け加えれば、酒を飲んできたとみられる事務局長らは、役場の職員であり、あくまで、社協には、出向の身である。自分の貴重な時間を費やし、様々な出費とかを考えなくていい人間たちには、裁判というものの重み、そして社会的責任を負う重みも理解できていなかった、ということか。単に彼らの気の弱さからのこととは、とても思えなかった。

 

 いうまでもなく、こちらは真剣勝負だ。同じ事件で向き合いながら、当事者間でこれほど心境も、自覚も違うというのもまた、裁判の現実か、と思わざるを得なかった。



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