やはり裁判官には、裁判官の話が効くのだろうか。一審担当裁判官の対応を持ち出した私たちの言に、声を荒げていた担当裁判官の態度が微妙に変化したことを私は見逃さなかった。私は、それをみて、こう付け加えた。
「社協さんに対し、和解を受け入れることは、勇気のいる選択でした。前裁判官と心が通じあえたからこその選択をしたのです。その和解がどんな評価が下ろうとも、われわれは、受け入れるつもりでしたから」
「残念なことに、一審の和解を蹴ったのは、社協さんであり、われわれではありません。彼らが判決を望んだがゆえにこんな状況になったわけです」
「裁判所が出した判決に従っての請求でしょ。だから、いきなり「カネか」という表現はちがうでしょ?」
既に担当裁判官は、先程の態度から一変していた。「はい」「はい」と、私の話を聞いている。彼の勢いは明らかに消えたようにみえた。彼はもはや何も反論してこなかった。
一連の担当裁判官の態度から、私のなかに、一つの憶測が浮かび上がってきていた。これは、社協側弁護士の訴訟対策の「効果」ではないか、と。事前に、この担当裁判官に「原告が悪」という風な形で、一方的に吹き込んだことによるのではないか――。その時の私の心理状態が生んだものかもしれないが、「カネか」をいきなり連呼した担当裁判官の態度からは、そんなことさえ想像してしまったのだった。
その後、私たちは退出を命じられ、社協が担当裁判官に呼び出され、しばらくし、私たちは、再び呼び戻された。担当裁判官を含め、社協の方々の表情を見渡したが、みな険しい表情だったのが印象的だった。担当裁判官は弁護士がいる彼らに対し、私たちにとったような威圧的に態度はみせていないとは思うが、私はその険しい表情に、どのような話し合いがあったのかは、ある程度想像がついた。それはおそらく「窃盗額」の支払いの話だったのではないか、と。
この日、裁判所を出た時、正直、今回はどうにかこうにか、乗り越えられた、という気分だった。威圧な司法に屈することなく、冷静に堂々と向き合った日だった。しかしながら、弁護士なしでおきた密室の話。仮に、一般に公開の裁判だったら、市民はどのように感じるのだろうか。おそらく、力のあるものが、弱者を威嚇し、脅している光景にしかみえないだろう。そして、あるいは公開の場では見せない顔を、弁護士がいない私たちに見せたのではなかったか。私は、それを強く感じ、そして、改めて密室の司法の怖さを知った。1対1ではなくてよかったと思っている。このことに関しては、家族が証人であり、この怖さと怒りは、家族の記憶にも刻まれた。
実は私は、この担当裁判官が、過去に行政よりの判決を多く出していることを、司法関連の記者から聞いていた。素人に対し、ここまで露骨にやられると、先が思いやられる気分にもなった。
司法の闇と戦うために、その後、私と兄は、オンブスマンの紹介である弁護士とコンタクトをとり、彼に会いに行く日程を押さえた。