司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 〈刑事訴訟を歪めると批判された裁判員制度〉

 

 2004年5月に成立した裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(いわゆる「裁判員法」)について、多くの人々は国民の人権を侵害し刑事司法を歪めるものだと主張してきた。同法施行日の迫った2009年5月近くになってから、同法の成立に賛成していた一部の国会議員らがその施行に待ったをかける動きもあった。その制度に批判的な私を含めてその制度の問題点として指摘したものは、日本の司法がおかしくなるという危険性であった。

 

 西野喜一・新潟大学名誉教授は、「おおむね丁寧な審理と判決を特徴として築き上げられたわが国の刑事裁判は崩壊し、まさに司法の自殺とでも言うべき事態になりかねないというのは決して杞憂ではない」と述べ(講談社現代新書「裁判員制度の正体」225頁)、また、「刑事司法はそれぞれの国の根幹を支えるシステムの一つですが、我が国では裁判員制度によってこれが随分ゆがんできてしまっている」(ミネルヴァ書房「さらば、裁判員制度」はしがき)、「裁判員制度は、我が国の刑事司法に深刻な病理をもたらした」と説く(同著250頁)。

 

 元東京高裁判事・大久保太郎氏は、司法制度改革審議会の審議が始まる前から(私がこの制度の抱える問題に気付くずっと前から)、国民の司法参加の一形態としての陪審制や参審制の問題点を、現行刑事訴訟制度の本質、運用の実態を踏まえて詳細に指摘し、その導入については識者による根本的な検討がなされなければならないと論じ(判例時報1678号、40頁)、同審議会の最終意見が提出されたのちには、「このような裁判員制度が実現されるということはいわば天地の逆転にも比すべきものであって、かくては健全な刑事訴訟制度は、回復不可能な致命的打撃を受けることになるであろう」と厳しく警告していた(判例時報1810号、8頁)。

 

 

 〈「裁判まで多数支配の場に」〉

 

 最近発行された「ポピュリズムと司法の役割」(斎藤文男著、花伝社)も、「裁判員制度を導入することによって、裁判まで多数支配の場に変えてしまった」、「司法の現状は危機的です」(216頁)と警告している。

 

 高山俊吉弁護士は、「裁判員制度はいらない」(講談社)で、裁判員制度の抱える諸々の問題点を指摘し、その制度は人権と民主主義が崩壊すると結論付ける(170頁以下)。小田中聰樹東北大学名誉教授も、「裁判員制度を批判する」(花伝社)で、「国民の司法参加という、一見民主的に見える裁判員制度下の裁判は、決して被告人にとって公正な裁判を実現できる仕組みにはなっていません。『迅速・軽負担・平易化』というスローガンのもとに公判が形式化し、防御・弁護活動が制限され、弁護管理が進み、そればかりか裁判員も一般国民も秘密の壁で囲われ、裁判が批判不可能な聖域にされてしまうでしょう」、「裁判員制度によって出現する刑事司法の本質は、強権的な『管理統制司法』というべきものだと私は考えます」と述べている(68頁)。

 

 哲学者の適菜収氏は、「ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体」(講談社+α新書)で、「司法に民意を導入すると、法原理の根本にある『法の下の平等』『先例拘束の原則』が成り立たなくなる」と論じ、「裁判員制度は究極の愚行」と断じている(175頁)。



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