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 〈最善を尽くす弁護士〉

 平成30年11月10日午後1時から予定時間を大幅にオーバーし、午後4時近くまで、京都大学ロースクールの講義で、ゲストスピーカーとして話す機会がありました。47年間の田舎弁護士しての体験に基づき、弁護士の現実と理想などについて語りました。


 その中で、特に印象に残っているのは、「どのような弁護士でありたいか」との質問に対し、①「金の稼げる弁護士でありたい」、②「憲法の番犬でありたい」、③「人生を語り合える弁護士でありたい」と答えたことです。深く考えた答えではなかったのですが、後で考えてみますと、本音であることは間違いないと思いました。今もそう思います。


 弁護士は、看板を掲げ、弁護士業を営んでいます。生活のためにしている仕事、つまり商売です。クライアント(お客様)に大勢来てほしいのです。そして、多くの金を払ってほしいのです。弁護士業も商売である以上は、これは当然のことです。それだけにこだわることは、いかがかと思いますが、なんら恥ずべき望みではなく、正当な望みだと思います。

 金を稼ぐ弁護士を「悪徳弁護士」などと決めつけるのは、いかがなものでしょうか。悪徳とは、道徳に背くような酷い行いや心を言うのですが、多くのクライアントのために働き、他の弁護士より努力し、その結果、多くの金を稼ぐ弁護士は、称賛されることがあっても、非難されるべきものではありません。確たる証拠もなく、悪徳弁護士などと金を稼ぐ弁護士を中傷するのは、金の稼げない人のひがみと言われても仕方がありません。

 クライアントが少々多めの弁護士費用を払っても、「あの弁護士に弁護してもらいたい」と思えるような弁護士になりたいのです。「あれだけの仕事をしてくれたのだから、これだけの金を払うのは惜しくない」と、クライアントが満足して金を払ってくれるような弁護士でありたいのです。できれば、「あの弁護士と知り合え、金や事件の解決以上のものを得た」と思ってもらえるような弁護士でありたいのです。

 商売人としての弁護士のあり方については、「クライアントが喜んで金を払ってくれる弁護士でありたい」と思い、それなりの努力をしてきたつもりです。結果は、残念ながら金の稼げる弁護士にはなれませんでした。能力と努力が足りないのです。この目標は、これまでのところ達成できていません。


 ですが、「粘り強く、負けても頑張れ、最後まで」という「弱者の哲学」と称している「いなべんの哲学」に従い、「あれだけやってくれたのだから負けても悔いはない」と、クライアントに思ってもらえるような弁護士を目指すことは、これからも続けます。その点については、これまでも自画自賛となりますが、一応納得できるようにやってきた気がします。

 クライアントは、「勝ってほしい」と思うのは当然です。ですが、勝ち負けは、五分五分です。そこにこだわったら弁護士の仕事はできません。弱者は負けそうな立場の人が多いのです。特に、国などを相手にする裁判では、勝ち目がないようなケースも少なくないのです。結果ばかりにこだわっていたら、負けそうな仕事は受けられなくなってしまいます。弱者の弁護や国などの強い組織を相手にする事件は、引き受けられなくなってしまいます。

 結果はともかく、クライアントが言いたいことを言い尽くし、「それだけ言ってもらい、もう十分だ」と思われるような仕事をしたいのです。普段、言いたくても言えない人に代わって言ってやることは、弁護士の本来の責務です。勝ち負けという結果も大事ですが、クライアントの言いたいことを言ってやれたかどうが大事だと思って仕事をしいます。

 そうは思っても、現実に裁判で負けたら、クライアントの悔しそうな顔が頭から離れず辛いものです。ですが、これまで多くのクライアントに、「勝ち負けはともかく、一生懸命やってくれて、ありがとう」と言われ、救われてきました。これからも、負けるであろう事件でも引き受け、クライアントと一緒に言うべきことを言ってやりたいのです。

 「粘り強く、負けても頑張れ、最後まで」の「弱者の哲学」で、負けそうな事件も引き受けていくつもりです。クライアントが「よくやってくれた」と思ってくれるように頑張りたいです。裁判は、裁判官という人間が裁くものです。その裁判官を説得できなかったという思いは、敗訴裁判には残りますが、勝ち負けにこだわらないで、説得のため最善を尽くしたと思える仕事をする弁護士でありたいのです。それを別の言葉で言うと、「金の稼げる弁護士でありたい」ということになるのです。


 〈まず、吠える存在に〉

 「憲法の番犬でありたい」というのは、国家権力が個人の尊厳を侵すような気配を見せたら、吠え続ける弁護士でありたいということです。弁護士は、難関と言われる司法試験に合格し、国家から与えられた憲法上の地位です。私が司法試験に合格した時代は、3万人近い受験者は、3段階の試験を受け、最後に合格者として残るのは約500人でした。60人に1人くらいしか合格できなかったのです。弁護士資格は貴重でした。振り落とされた多くの不合格者の涙の上にもらった資格です。憲法が、法律がそのようにして得た弁護士資格に求めているのは、権力者の横暴から憲法を守れ、ということだと確信しています。

 弁護士資格は、商売として弁護士業を営むことができる資格という一面があります。この資格がない人が弁護士の仕事をしますと、処罰されます。それだけ弁護士は、法によって守ってもらっているのです。その半面、憲法の番犬という役目を負っているのです。

 この憲法の番犬という弁護士の責務を果たす弁護士でありたいのです。それは、国家権力のためではありません。憲法が究極の価値としている個人の尊厳を守るためです。人間一人一人が持っている命と人権を守るためです。国家権力により、国民の命と人権が侵されそうになったら、それを守る、つまり憲法を守る番犬としての役目を期待され、弁護士という資格は与えられているのです。

 憲法の究極の目的は、個人の尊厳、つまり人間一人一人の命と人権を守ることにあります。憲法は、国家よりも個人に価値を置いているのです。人間の命と人権を守るのは、最終的には、一人一人の国民ということになりますが、まず、個人の尊厳が侵されそうになったら、吠える番犬が必要です。憲法は、それを弁護士にやらせようとしたのです。弁護士は、憲法を守る、個人の尊厳を守る立場にあるのです。吠えない犬は、番犬には向きません。国家権力に尻尾を振っては、弁護士として失格です。

 弁護士は、権力者に憲法を守らないような気配を感じたら、まず吠え、時には噛みつかなければならないのです。憲法は国民が、権力者がその立場をわきまえず、憲法に反し、国民の命や人権を侵すかもしれないと考え、自らを守るために弁護士という憲法の番犬を置いたのです。個人の尊厳を侵す最も悪いものは、戦争です。戦争は人間の命と人権を侵す最も危険なものです。弁護士は、戦争の気配を感じたら、誰よりも先に憲法の番犬として吠えなければならないのです。

 私は、第一次安倍政権が憲法改正を言い出した時点で、「改正権者のあなた知ってほしい」というサブタイトルで、「田舎弁護士の大衆法律学――憲法の心」(「旧・憲法の心」)を発刊しました。第二次安倍政権が、再び憲法改正を言い出しましたので、「新・憲法の心」を書き始めました。「新・憲法の心」は、第1巻から第23巻まで発刊しました。この本は、表紙の色に従い、「青い本シリーズ」と呼んでいます。その後、「新・憲法の心」は、「国民の権利及び義務」に移り、現在発刊継続中です。この本は「緑の本シリーズ」と呼んでいます。

 私には、弁護士になった最初から、弁護士は憲法の番犬であるという強い意思があったわけではありません。弁護士の仕事を続けているうちに、そういう気になり出し、憲法に関する本を書き続けているうちに、そういう意識はだんだん強くなってきました。

 最近では、弁護士は憲法の番犬であるという思いを、若い弁護士の先生方にも押しつけがましく話すようになっています。全国の「九条の会」で活動している若い弁護士さんたちの存在には大変心強く感じています。

 本を発刊し、それで金を稼ごうなどという考えはありません。むしろ、本の発刊では、金は出ていく一方です。商売としての弁護士業で稼がしてもらって金を、憲法の番犬として吠えようと、本を発刊し続けて食い潰しているというのが実態です。ですが、本を発刊し、吠えていますと、憲法の番犬という弁護士の責務をいくらかでも果たしている気がし、ほっとすることがあります。今後も、憲法の番犬として吠える弁護士であり続けたいのです。

 47年間も弁護士をさせてもらいました。もうあまり先はありません。「どのような弁護士でありたいか」と問われても、これから先、このような弁護士を目指すと言っても、いまさらという気もします。ですが、まだ夢はあります。これから先は法律とか、裁判とかに限らない医療や哲学などを総合した人間力を高め、裁判に勝つとか、争い事に勝つなどという狭い世界に止まらず、裁判などという一般通常人にとっては非日常とも思える世界に止まらないで、「人生は、どう生きるべきか」ということを身の周りの人と語り合いたいのです。

 「どのような弁護士でありたいか」という問いに対しては、これまでは「金の稼げる弁護士でありたい」と「憲法の番犬でありたい」と思ってきましたが、これから先は、①金の稼げる弁護士でありたい、②憲法の番犬でありたい、に、③として、「人生は、どう生きるべきかを語り合えるような弁護士でありたい」という答えを、プラスしたいと思います。
(みのる法律事務所便り「的外」第344号から)


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