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 裁判員制度への批判のなかで、上級審で判断を維持できなかったことを以てして、この制度の無意味性をいうものがある。殺人罪などに問われた被告人について、一審・裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した二審・高裁判決が、今月1日付けの最高裁の上告棄却で確定することになった、2014年発生の神戸女児殺害事件の被害者・女児の母親が同月3日に発表したコメントにも、次のような下りが登場する。

 「亡くなったのが一人であれば死刑にならないという前例は、おかしいと思います。計画性がないとか、前科がないというのも、それだけでは死刑にしない理由にはなりません。そのような前例だけで判断して、命の重さを直視しないのであれば、何のために裁判員裁判をしたのかと思います」

 もちろん、この母親の心情は理解できるし、そこに裁判員制度が掲げてきた「国民の常識」とか、市民自信がそれと明確に区別できているか疑わしい「国民感情」を重ね合わせるのは容易である。また、量刑の妥当性はあくまで個別具体的に検討されるべきで、もちろん本件について、いわゆる「永山基準」を含めた死刑の適用基準を含めて、議論されることも意味があるだろう。

 ただ、今回のコメントへの一部メディアの扱い方や反応のなかに、こうしたケースを、職業裁判官による裁判員裁判の趣旨への無理解として一般化し、ある種の傾向として読みとろうとするものがある。

 「今年は裁判員制度が始まって10年という節目の年である。この制度の主たる目的は、一般人が裁判に関わることにより、その内容に『社会常識』を反映させること。硬直化した裁判所に『常識の風』を吹かせよう、というわけで、最近、性犯罪が厳罰化される傾向にあるのはその『風』の一つと言えよう」

 「しかし、である。 裁判所のお歴々たちは、全ての『風』を受け入れるつもりではないようだ。一般の人々が悩みに悩み、徹底的に討議した結果、導き出した『死刑』という結論。それが高裁でいとも簡単に覆され、最高裁もそれを是認する、という事態が相次いでいるのだ。自分たちが受け入れがたい『風』は徹底的に排除する――職業裁判官たちの執念は恐ろしいほどである」(デイリー新潮)

 この一文も何を言いたいのかは、もちろん、分かる。ただ、すべてを職業裁判官の無理解や保守性に置き換えられかねない論調には、危ういものがある。なぜならば、裁判員制度自体が社会に誤解させている部分があり、また、その責任もあると思うからだ。

 いかなる裁判形態であろうと、量刑の公平性は維持されるべきで、過剰な処罰感情には引きずられるわけにはいかないし、量刑の傾向をとらえることにも意味がある――。量刑まで市民に関与させる制度の導入に当たり、その旗振り役になった裁判所は、あらかじめそのことをきちっと周知しただろうか。国民の制度への抵抗感を和らげるために、「市民感覚の反映」「誰でも判断できる」ということばかりが強調され、刑事裁判のあり方として、押さえておくべきことが伝えられたのだろうか。

  制度が裁判所に「常識の風」を吹かせよう、とするものという表現が出てくるが、その「風」で刑事裁判の結論を出せるという理解そのものが、その危うさを物語っている。一審・裁判員裁判の結論が、「高裁でいとも簡単に覆され」たという認識、「自分たちが受け入れがたい『風』は徹底的に排除する」「職業裁判官たちの執念」という見方で、それをあたかも傾向のようにいう論調には、さすがに制度導入の旗を振った側も、その危うさと前記周知のあり方の問題性に気付くのではないだろうか。

 そもそも裁判員制度は、「裁く側」を主役とし、裁判官とともに裁くために市民を動員する制度である。ことあるごとに、素人が裁く不安について、職業裁判官がともに裁くから大丈夫、ということが強調されてきた。量刑についても、いわゆる「相場」に基づくにしても、逆に従来の傾向を前提にすべきでない事情があるにしても、裁判官が評議で丁寧に説明する、説明するから大丈夫という建て前だったはずである。

 しかし、前記「風」で裁くべきという論調に乗っかれば、裁判員裁判の結論であるという「事情」こそが、直ちに「従来の傾向を前提にすべきでない事情」として扱われかねないし、そう扱うように求める社会的欲求を高めかねない。参加市民側が、「市民の常識」と「感情」が区別しきれない、むしろ「市民感情」で裁いていい制度ではないのか、という理解の危うさを引きずっている現実もあるだけに、なおさらその点は危険なものをはらんでいる。

 これは市民側の無理解の問題というより、裁判員制度導入が引きずる無理と責任の問題というべきである。前記引用の記事では、法律専門家までが、職業裁判官の制度無理解の方を、まさに制度推進論調に乗っかって指摘しているが、これもミスリードの危険性をはらんでいるといわなければならない。推進論に引きずられた、裁判員制度ありきではなく、刑事裁判にとって何が求められるのかという視点に立った、専門家の冷静な論評が、今こそ必要である。



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