今冬二回試験を通った新64期の修習修了者のうち、非任官者、つまり、弁護士候補の実に20%が、未だに弁護士登録をしていないというニュースがあった。5人に1人が、就職ができないどころか、ソク独もできなかったということだ。恐るべき数字ではないか。
司法改革を推進してきた人々に言わせれば、これは予定された淘汰の一環であって、むしろ、こういう状態こそが普通なのだ、というのかもしれない。
しかし、何百万円もの学費をつぎ込んだ挙句、5人に1人が無職に留まるというのでは、そんな仕事に魅力を感じない人が増えても、全く無理はあるまい。
現在の法曹界を見る限り、この先、弁護士の仕事のパイが劇的に増えるというようなことはあり得ないから(もっとも、回転寿司を経営し始めた事務所もあるようだから、そうした意味でのパイは増えることはあるかもしれない。だが、旧世代の私は、そんなパイは願い下げだ。)、今後も、毎年、就職浪人というか、登録浪人は増え続けていくことだろう。
そうなれば、確実に、この仕事はますます魅力を失っていく。本当にやりがいのある、可能性に満ちた仕事なのに、入り口のところで、若い人が閉め出されてしまうというのは、悲劇だ。その人にとっての個人的な悲劇である以上に、この国にとっての悲劇である。
司法改革の理念は、従来の事前調整型の規制社会から、規制を緩和し、事後的に法の支配を徹底する法化社会を目指そうというものだったはずだ。それが、法の支配の担い手が、日々の糧すら得ることができず、そうした先輩の姿を見た次世代の若者が、この仕事そのものを敬遠していく。これでは、法の支配など、絵に描いた餅にもなるまい。
そういえば、かつては盛んに喧伝された法化社会という言葉自体、最近はあまり耳にしないように思う。いったい、この国の司法はどこに向かおうとするのか、そろそろ、もう一度冷静になって、考えるべき時が来たのではないか。