「国家機密法案」(正確には、「国家秘密にかかるスパイ行為等の防止に関する法律案」)が国会に提出されたのは1985年、私は当時、まだ法学部の学生だったが、マスコミだけでなく、世の中全体がこの法案の行方にピリピリしていた感覚があり、無責任なノンポリ学生ではあったものの、事の重大さは何となく理解していたように思う。
当時は、あちこちで盛んに反対集会が開かれていて、近所の教会でも法案に反対する集まりが開かれていた。最高刑が死刑で、秘密の定義もはっきりしないという無茶な法案であり、こんなものが成立していたら大変だったろうなと改めて思う。当時は、日弁連も腰を据えた反対活動を繰り広げていて、よく、民青の学生あたりが、学校の内外で、日弁連のパンフレットを配っていたように思う。
特定秘密保護法の成立の際も、日弁連、弁護士会は、かなりの危機感を持って闘っていたのだろうと思う。弁護士は、法案の成立を阻止するために、できる限りのことはしたと言える。しかし、どうにも盛り上がりが欠けていた。結果的に法律が成立してしまったのは、もちろん、国会議員の責任だが、衆参共に与党が多数を押さえているというのは、当時も今も変わりない。むしろ、現在は、公明党との連立政権であることを考えると、特定秘密保護法の成立は、85年当時と比べて、こうした法律の存在を許容する社会的雰囲気ができてしまっていることの表れと見るべきだろう。当然のことながら、マスコミの多くは反対の論陣を張っていたが、国民はどこか醒めた目で見ていたように思う。弁護士の声も、こうした社会的雰囲気を覆すことはできなかった。
実際には、この法律は、日本版NSC、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認とセットで捉えるべきものだ。この3つが出揃うと、政府は、実に簡単に、アメリカの戦争に参加できるようになる。国民にとっての影響はとてつもなく大きい。それなのに、弁護士は、この法律の危険性を国民に分かってもらうことができず、回復しがたい失点をしてしまった。この敗戦の意味を、私たちは正面から見据えていかなければならないだろう。
間違いなく、私たちは発言力、発進力を失いつつある。マスコミに対して向けられていたとのと同じように、醒めた目線が、いま、私たちに向けられているようだ。確かに、テレビや吊り広告で宣伝をしている相手の言うことを、どこか眉に唾して聞いてしまうというのは、情緒的に分からないことではない。弁護士増員が、いかに国家、政府を喜ばせるものなのか、目の当たりにする思いだ。