私が研修所を出た平成4年ころは、就職先として、検察官は全く人気がなかった。本当に任官志望者は少なかったので、少しでも任官の意思があるとほのめかそうものなら、検察教官がわざわざ実務修習地まで来て、検事長を交えて飲みに連れて行ってもらったりと、下にも置かないおもてなしをしていただくというようなことが実際に行われていた。東京佐川急便事件で検察の威信が地に落ちたと言われ、東京地検にペンキがぶちまけられた時期だ。そこまでリクルートを徹底しても、同期の任官者は50人にも届かなかった。
当時と比べてみると、現在、検察が抱える危機は、途方もなく深い。
看板の特捜部が各地で不祥事を連発し、無罪や再審も相次いでいる。東京佐川事件は、当時の社会にマグマのように蓄積されていた政治的なルサンチマンが、金丸信の略式罰金処分が引き金となって、検察批判に集約してしまったという側面があり、検察の制度そのものが叩かれることはあまりなかったように思う(もっとも、当時、ある国会議員が検察批判を繰り返し、退官後の検事が弁護士になるのを制限すべきだというようなことを言っていたのを思い出す。誰も相手にしていなかったようだが)。
それが今や、特捜部のエースと言われた検事が服役し、別の特捜検事を不起訴にしたものの、検察審査会の強制起訴もささやかれる状況だ。度重なる無罪判決や再審決定は、公訴権を独占する検察組織の正当性に、厳しく疑問を突きつけている。検察にとっては、組織の存立自体を脅かされかねない、大変な事態だ。
しかし、今回の検察の危機が、検事志望者の減少に結びつく気配はない。実際、現在の経済状況と弁護士業界の有り様を考えれば、検事志望者は、増えることはあっても、減ることはないのだろう。
もともと、司法試験の改革は、検事任官者があまりにも少ないため、何とか合格者増と若年化を図ろうとしたのが出発点だった(「丙案」の導入は、その露骨な現れだ)。その意味では、改革は大成功だったわけだ。
しかし、かつての修習生が、就職先の選択において、消極的にではあれ、検察にノーを突きつけることができたのに比べ、現在、そんな選択は、不可能になった。ひとえに経済的理由から、どんな不祥事があろうと、若者が任官の道を選ばざるを得ないというのは、果たしてこの国の司法のためになるのだろうか。