司法の世界で世知辛い思いをしているのは弁護士だけなのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
先日、久しぶりに検事時代の上司や同期、部下と飲む機会があった。退官して20年も経つのに、声をかけていただけるのは大変ありがたいことで、喜んで出かけていき、昔話に花を咲かせてきた。
かつての検察庁では、検事は、だいたい、仕事が終わると執務室のソファーで、乾き物をつまみに酒を飲むというのがお定まりで、午後7時ころになると、あちこちの部屋でこじんまりとした宴会が花咲いていた。私にとってはいい思い出なのだが、同期に聞くと、いまや、庁舎内でこうした飲食は厳禁されているらしいのだ。
以前は、東京地検の総務部には巨大な業務用の冷蔵庫があって、膨大な量の瓶ビールがストックされていたのだが、これもとっくの昔になくなってしまったらしい(このビールは、職員が自腹で購入しているということになっていたが、実際の出所は、警察が地検に来るとき、必ずと言ってよいほど手土産に持ってくるビール券だったようだ。今思えば、明らかに官官接待の一種だから、こういう慣習もとっくに廃れているんだろう)。
まあ、役所で酒を飲めなくなったからといって、何がどうなるものでもないのかもしれないが、そんなことまで制約されるというのは、息が詰まるだろうなと、気の毒になってきた。
検察庁の乾き物宴会というのは、往時の修習生なら誰もが懐かしく思い起こすような、大げさに言えば、バンカラと言われることの多い検察独特のある種伝統的な行事の一つだったのだ。実際、執務後に手っ取り早くストレスを発散し、交流を深める機会として、罪のない気晴らしだったはずだ。
経緯は知らないが、そんなことを禁止しなければならないほど、今の検察庁は、国民の目線に敏感にならざるを得ないということなのだろう。
弁護士叩きの風潮にも思うことだが、「市民目線」を意識して身を竦めることが、果たしてこの国の司法にとって何か良いことがあるのだろうか。検察庁という、役所の中では比較的人間臭い場が、旧ソ連を思わせる乾いた環境になっていくというのは、どうにも寂しい限りだ。
もう少しおおらかな環境がないと、検事も弁護士も、いい仕事はできないのではないかと思うのだが。