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 民主党が11月12日、「法曹養成制度改革に関する緊急提言」を発表した。内容的には、①予備試験合格率の相当程度向上②実務教員割合の3割以上への引き上げ③法科大学院の総定員2000程度への削減④飛び入学・早期卒業制度の積極的活用⑤法科大学院を経ずに法曹になった者への補完教育の実施⑥司法試験合格者数を1500人程度への削減⑦経済的困窮状態にある修習生の支援等の検討――などが盛り込まれている。

 

 あくまで法科大学院を中核とする「プロセス」の教育の維持を前提としていることの関係で言えば、予備試験の扱いも含めて、ややちぐはぐな印象もある。

 

 とりわけ、提言冒頭では、「『法科大学院を中核とした法曹養成制度』を墨守しようとするあまり、現在の法科大学院教育のままで現行制度を継続するなら、法科大学院の入学者減少→司法試験受験者のレベル低下→意図せざる合格者の減少→法科大学院の入学者減少・・・という負の連鎖に歯止めがかからず、将来的には三権の一翼を担う司法の人材が払底するおそれもある」としている。

 

 ここまでの現状認識と将来の展開見通しを持っていながら、予備試験への流入、法科大学院離れへの歯止め効果に、本当に展望をもった提言なのか、彼らもまた「墨守」していないか、という気持ちにはさせられる。とはいえ、選挙が取り沙汰されている今、政治的な打算に引きずられずに、前記現状認識とともに、「改革」の問題性と解決への方向性を示した意義は認めなければならない。

 

 ところで、この提言のなかで、気になったのは、司法試験合格者数1500人への削減の中で登場する「期待権」という言葉だ。

 

 「現時点では合格者3000人目標が存在することを前提に入学した法科大学院修了者が受験生となっており、当面はその『期待権』にも配慮し、司法試験合格者数を極端に減らすのは適当でないと考える」

 

 「1500人」は、自民、公明とともに、政党がほぼこの方向で足並みをそろえたという意味があるものの、弁護士会内では弁護士の就職難など、現在の環境を大きく変えるのには現実問題として不十分という見方が支配的である。それに対して、受験生の「期待権」が、減員をここにとどめる理由として挙げられていることは、どう見るべきだろうか。「期待権」という概念そのものが保護の範囲からして、どこまで認めるべきものなのかということもさることながら、ここでこの言葉を持ち出すことに若干の違和感を感じるのは、それを言うならば、そもそも「期待権」はとっくに侵害されていないのか、という気がしてしまうからだ。

 

 「7、8割程度」がうたわれた修了者の司法試験合格率は、早々に2、3割程度にとどまり、需要があふれるはずの弁護士はあぶれて、就職難に陥っている。既に、この時点で、「改革」はりっぱに看板倒れである。しかも、その後に展開されている「改革」論議を見てきた志望者たちは、この状態がなんとか解消され、当初の予定通りになる、などという見通しを立てることができただろうか。「3000人」目標など絵に描いた餅で、撤回は時間の問題と考えていたとしてもおかしくない。法科大学院にしても、そのリスクやコストに見合う「価値」への期待に、早々に見切りをつければこそ、志望者たちは予備試験を目指し出したのではなかったのか。

 

 あるいは冒頭書いた、この提言のちぐはぐ感も、「法科大学院を中核とする法曹養成制度」を根本から考え直すという、そこまでの「期待」を裏切ることができない、と結び付けたい意図が働いている結果ではないか、と疑ってみたくなる。ただ、ここでもし、言葉にせずとも誰かが「期待権」を想起するのであれば、おそらくそれは今や大半の志望者たちではなく、別の人々である。このことも民社党は、分かっているのではないだろうか。

 

 「改革」は、将来現れる成果に社会の「期待感」をつなげることで、前に進もとする。しかし一方で、その「成果」がいつ現れるのか分からないまま、いつのまにか社会の「期待感」だけがつなぎとめられてしまう、いわば「期待」が利用される危険があることを、われわれは自覚しておかなければならない。民主党が、前記したような現状認識と未来図が描けているのであれば、「改革」がこれ以上、無理な「期待」を未来につなぎ、さらに大きな裏切りを生むことを回避することの方に、もっと目が向けられていいのではないか、という気がしてしまう。



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