司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 民法や司法制度は、この国においてはなかなか定着はしないだろうし、また、定着しなくても、ヨーロッパ近代の規範システムが無いからといって平和に豊に暮らせないというものでもない。日本自体見れば良くわかるではないか。権利行使の保護機関として、一体、日本人100人の内何人が裁判所を利用したことがあるだろうか。

 平成23年11月のカンボジアツアーは、日本人がこの150年追いかけてきたものの正体を探るきっかけともなった。カンボジアに関する書物でもっとも優れていると思ったのは、めこん社出版の三浦恵子著「アンコール遺産と共に生きる」だ。

 著者の三浦氏は、序文で「1980年4月、私は・・国際連合世界食料計画を通してボランティア活動を行った。その活動を通して、難民たちから内戦やポルポト政権下での生活や逃亡に関するすさまじい体験談を聞いた。また、難民救済事業の光と影や、タイ軍隊や何人かの難民救済関係者の間で行われた不正、非道徳的行為、弱者の搾取や暴力について知ることとなった。そこで、人間の成しうるあらゆる行為の広さと自身の無力さなども含めて、きわめて多くを学んだ。この時の経験があまりに強烈だったので、カンボジアは、私自身の半永久的なプロジェクトになった」と述べている。

 そして「ほとんどすべてを失った人々は、それでも微笑むことを忘れていなかった。というよりもむしろ、微笑むことが生き延びるために必要だったと言う方が正しいかも知れない。友人の知り合いだったカンボジア難民は、少ない配給の食糧でおいしい料理を作って振舞ってくれた。彼女は・・ポルポト政権下で口がきけないふりをしてやっと生き延びたストレスのためか、その後精神的に病み、治療が必要となった。・・難民収容センターで医療と食料の支援を受けても、多くの場合仕事も無く、しかし帰るところもない人々が意欲的に生きるのは難しい。あるとき、難民収容センターで若いクメール人女性たちによる古典舞踊が披露された。余りの美しさに、目が釘付けになった。・・伝統文化の力に圧倒された瞬間だった」という。

 「難民収容センターで医療と食料の支援を受けても、多くの場合仕事も無く、しかし帰るところもない人々が意欲的に生きるのは難しい」という状況が、この日本という国の中で、今起こりつつあるのではないか。

 東電福島原発事故と震災津波とは、この150年の日本近代化の過程で生まれた日本人支配層の奢りの意識と退廃がもたらした、結果としての大罰なのではないか。

 菅元総理が四国お遍路旅行をする一方で、何とも鈍くてイライラさせられるドジョウ男、野田政権の続く中、プレハブの宿舎で「医療と食料の支援を受けても、多くの場合仕事も無く、しかし帰るところもない人々が意欲的に生きるのは難しい」というような状況が日々広がり深化している。



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