司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 〈権力側国民の裁判を拒否する権利〉

 裁判員制度が、司法審が述べるように、被告人のためというよりは国民一般にとって、或いは裁判制度として重要な意義を有するが故に導入されたものであり、且つその制度が本来権力と対峙し批判すべき立場の国民を強制的に権力側に組み込ませて裁判することを本質的な仕組みとするものである以上、被告人としてはそのような目的の制度の犠牲にはなりたくない、そのような目的のモルモットにはなりたくないという要求は必ず叶えさせなければならない。

 極端な表現になるが、いわば「裏切った仲間の加わった裁判」を拒否する被告人の権利を否定してはならないということである。

 前述のとおり、衆議院法務委員会において与謝野委員も「私が裁判を受ける場面に陥った場合は、私自身はやはり専門裁判官だけで裁判をしていただきたい」と述べている。裁判員裁判が、本来は被告人の立場と同じ権力と対峙すべき国民を被告人側にではなく権力側につかせる本質を有する以上、そのような者が裁く側に立つ裁判を受けたくないという被告人の希望は、憲法32条、37条の規定上、絶対に守られるべきである。

 〈廃止しても不都合はない制度〉

 被告人に選択権を与えることによって廃れてしまうような裁判制度であるならば、(しかも多くの国民が裁判員としての参加に消極的な意向を示し、現に多くの事件で出頭率が低下している制度であるならば)そのような制度は国民の信頼を得られていないものというべく、本来存在を認められるべきものではない。

 この国ではそのような制度を廃止しても何ら不都合なことは起こらない。むしろ廃止したほうが国民の負担を減じ、国家財政にも寄与するところは大であろう。

 被告人に選択権を認めれば、裁判員制度という違憲性の強い制度を被告人に強制しないことになるので、結果的にその裁判員制度の違憲性を弱めるという効果はあるかもしれない。しかしながら、選択権の問題は、本来はそのように便宜的に対応されるべき問題ではなく、被告人から選択権を奪うことは憲法32条、37条、13条、14条に違反するものと言わざるを得ないということである。

 これまでこの選択権の問題が憲法問題として単独で取り上げられたことはなかったと思われるので、以上のとおり二小判決が示されてからしばしの時間は経過したが、ここに卑見をまとめることとした次第である。=このシリーズ終わり



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