司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

わが国の司法の独立、あるいは正統性を根本から揺るがしかねないことが報じられた。1957年7月、米軍旧立川基地に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が侵入し、学生ら7人が日米安全保障条約の刑事特別法違反に問われた「砂川事件」で、基地の存在を違憲とし無罪とした1審判決(59年3月)後、田中耕太郎・最高裁長官が上告審公判前に、駐日米首席公使に会って公判日程や見通しを漏らしていたことが、米国立公文書館に保管されていた、当時のマッカーサー駐日大使が米国務長官宛に送った、公電で分かった、というのである。

 それによれば、田中長官は「共通の友人宅」で、在日米大使館首席公使に会った際、砂川事件最高裁判決が、「おそらく12月に出るであろう」「争点を事実問題ではなく法的問題に限定する決心を固めている」「口頭弁論は、9月初旬に始まる週の1週につき2回、いずれも午前と午後に開廷すれば、およそ3週間で終えることができる」「最高裁の合議が、判決の実質的な全員一致を生み出し、世論をかき乱しかねない少数意見を避ける仕方で進められるよう願っている」などと語ったとされている。

 これを読む限り、安保条約改定と判決の帰趨に神経をとがらせていた米国側に、最高裁長官自らが、守るべき評議の秘密(裁判所法75条)に当たる裁判に関する情報を、いわば安心材料として提供した形になる。水島朝穂・早稲田大学法学部教授は、長官の行為を、あきれたようにこう表現している。

 「沖縄で、犯罪を起こした米軍兵士が起訴され、その事件を担当した那覇地裁の裁判長が、『必ず執行猶予の判決を出すようにしますよ』と、公判前に米軍幹部に話す。田中のやったことは、量刑を事前に被告人の関係者に教えるのとどこが違うのか」(「砂川事件最高裁判決の『超高度の政治性』――どこが『主権回復』なのか」」)

 「砂川事件」最高裁判決で見落とせないのは、いうまでもなく、そこで示された統治行為論である。安保条約は「主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度の政治性を有する」ものであり、その違憲性をめぐる法的判断は司法裁判所の審査には原則としてなじまない、というものだ。これが、その後の司法判断への影響として問題となるのは、「政治性」を理由に違憲審査権が及ばないということが、実は裁判所が「政治的に」違憲判断を回避する論拠として使われているのではないか、という点にある。

 水島教授も前記論稿で指摘しているような、この最高裁判決自体の「超政治性」と併せて、今回明らかになっている長官自身の「政治的」な行為によって、その矛盾する司法の実相は、より明確になっているようにも思える。

 かつて反権力という立場で多くの冤罪事件を手掛けた故・後藤昌次郎弁護士は、この「砂川」最高裁判決を引用しながら、問われるべきは「主権国としてのわが国」の存在理由であり、それは人権が保障される限りにおいて、国が国民に主張できるし、政治の存在理由もまた、国の存立や政党の利害ではなく、国民・人間のためであり、その理念こそが憲法である、戦争と平和の問題は、国の存立や政治の次元の問題ではなく、人権の問題としてとらえられなければならず、裁判所が「高度の政治性」を理由に自衛隊違憲の判断を回避するかどうかは、違憲の既成事実を追認することで自己の存在理由を失うかどうかの問題だ、と指摘した(「裁判を闘う」『司法の中立とは何か』)。

 今回の「事実」が、当時、明らかにされていたならば、どんな衝撃的なこととして、波紋を呼んだかを考えても、それが単に、半世紀という時の経過によって、うやむやにされていいわけがないことは明らかである。そして、それは戦後史のなかで、当時のわが国の「司法の独立」の問題にとどまらず、延々とこの国の司法が引きずっている姿勢の問題につながっていることも忘れてはならないように思える。



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