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 〈群れの在り方の規範〉

 

 2011年3月11日、あの東日本大震災のあった日の夜の星空の美しさを語る人は多い。私も、いつも見上げていた空にこんなにも美しい星が群れていることを知って驚くと同時に、感激したことを覚えている。先日、仙台市天文台では、あの夜の星座を再現する映像を観る会を開いた。

 

 この地球も、宇宙の一つの星として他の星から眺めれば、その3.11の夜空の星の一粒のように光輝いて見えているに違いない。輝くその地上では、目に見えて存在する生命体には、国家や地方公共団体、会社、法人などというものはない。これらは、人間という生命体が勝手に目には見えないものとして作り出した、言わば幽霊みたいなものである。

 

 元々は、この地上に存在する生命体、その中の存在価値を認識している生命体は、人間以外にはない。経済的な価値は需要と供給の関係で決められる。ピカソ、マチス、モネなどの絵がオークションにかけられて数百億の値がつけられることがある。そのような値は、絵の希少価値と、その絵を取得したいと思う人間の欲望の関係で決まる。

 

 希少価値という価値判断の基準は、あくまでも相対的な価値基準である。しかし、人間というものは、あるがままの存在そのものが価値なのである。これまでこの地球という宇宙の一つの星に生まれた人間は、何百億人、何千億人に上るか分からない。それらは、すべてその一人ひとりが存在意義を持つ、他に代替し得ない絶対価値を持つ存在である。

 

 人間は、群れを作り、群れて行動する。その中には、その群れを統率する能力のある者やそれに従うだけの者もいるであろう。そこに、人間についての群れ的優劣の評価、優生的考え方の基盤が生ずる。しかし、それは人間存在の価値とは関係がない。病人も健康な者も、障害者も健常者も、老人も若者もみな同じ、代替性のない絶対的価値ある者、その存在自体に価値があるものなのである。

 

 群れが群れの利益のために、それを構成する1人の人間の絶対的価値を損ねてはいけない。そのことは、歴史的に次第にこの人間社会の倫理であるとされ、さらに群れが群れとして成熟してきた社会においては、群れの在り方の規範として認められてきた。



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