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 〈憲法前文の趣旨〉

 日本国憲法の前文には、「戦争放棄」に関する部分が少なくありません。その点について、拙著「旧・憲法の心」では、次のように述べました。

 「日本国憲法前文第1段には、『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する』とある」

 「第2段では、『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』とし、続けて、『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』と述べた」

 「さらに、『われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する』とした」

 「この前文を素直に読めば、まず日本国憲法は、『再び戦争の惨禍が起こることのないようにすことを決意し』たので、創られたものであることがわかる」

 この前文は、「二度と『戦争』を起こさない」と述べているだけで、どこにも『自衛戦争』と「侵略戦争」を区別していません。ただ、「戦争」と言っているだけです。「自衛戦争は許される」などという考え方が入り込む余地が生まれるはずがないほど、はっきりした述べ方です。9条1項と同じ述べ方です。

 この前文と9条を素直に読めば、「戦争」を「自衛戦争」と「侵略戦争」とに分けて、「侵略戦争は放棄しているが、自衛戦争は放棄していない」という解釈には、文理上無理があります。

 さらにな、「旧・憲法の心」では、前文について次のように述べました。

 「ここでは、『憲法制定の趣旨』が述べられており、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにするために、国民の意思によって統制される政府とする、としている。日本国憲法が制定されたのは、直接には第二次世界大戦の惨禍に対する反省に基づくものであり、ポツダム宣言を受諾した日本が創った戦争放棄の規定は、この憲法における目玉と言える」

 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらないようにするため、国民の意思によって統制される政府とすることにした。国民の意思によって統制される政府を創るためには、国民が主権者でなければならない。ここに「国民主権」の原理が採用された。国民主権が機能するためには、国民の心、つまり考えが自由でなければならない。そこで、『基本的人権の保障』が必要となる」

 「日本国憲法の基本原理は、①国民主権、②基本的人権の保障、③平和主義の3つである。これらの原理は相互にリンクしているが、日本国憲法の前文第1段を素直に読めば、日本国憲法の心は「二度と戦争を起こさない」という点が中心になっており、そのためには国民主権でなければならず、さらに、そのためには基本的人権が保障されなければならないという関係にあると言っても過言ではない。つまり、平和主義こそ日本国憲法の中核をなすものである」

 その平和主義は、「自衛戦争なら、戦争は許される」などという中途半端なものではなく、自衛戦争も含む一切の戦争を放棄したものであり、「完全戦争放棄」です。

 そうでなければ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」という前文の趣旨は没却され、国民主権も基本的人権の保障も有名無実となってしまいます。たとえ「自衛戦争」であっても、一旦戦争状態に入ったら、国民主権も基本的人権の保障もなくなることは歴史が証明しています。


 〈数や勢いでは変えられないもの〉

 日本国憲法の前文を素直に読めば、「自衛戦争」と「侵略戦争」と、「戦争」を2つに分けていないことは誰にでもすぐに分かります。

 それぞれの政治的立場の違いや政策に対する考え方の違いなどから、その時々の情勢によって「こうあるべきだ」とか、「こうあった方がよい」という考え方はあるはずです。殊に、安全保障問題は国際情勢の変化に伴い、その時々によって考え方も変化しそうです。そのことを否定するものではありません。

 ですが、誰にでも分かるような明確な条文を、詭弁を用いて曲解し、多数を頼んで自己の主張や政策を押しつけることは許されません。許してはならないのです。数や勢いでは変えられないことがあります。数や勢いに対する歯止めが憲法です。憲法の基本原則です。憲法は、国、つまり、政治権力の国民に対する「守らなければならない義務」を定めたものです。それを守らせることができるのは、国民だけです。

 時々の情勢がどう変わろうとも、法律家の端くれとしては、憲法の解釈として絶対に譲れないものがあります。それを1人でも多くの国民に知ってほしいのです。

 日本国憲法9条は、「戦争」を放棄したのです。全ての戦争を放棄したのです。「自衛戦争」と「侵略戦争」というように、「戦争」を2つに区別するという考え方は、無理な考え方です。絶対に妥協できません。ですが、今、安倍政権の下、この考え方が踏みにじせられそうな状況にあります。

 「9条は、自衛戦争も放棄している」という考え方は、どのような国際情勢であろうと、どのような政権であろうと、その時どのような国民感情であろうと、変わらないのです。変えてはならないのです。

 憲法の前文は、「二度と戦争は起こさない」ためにこの憲法を創ることを宣言し、それを9条が「完全戦争放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」という形で具体化したのです。

 9条の解釈としては、「自衛戦争も放棄している」という考え方は、絶対に曲げることのできない生命線です。これを変えたら、日本国憲法ではなくなるのです。

 日本国憲法の前文は、「侵略戦争だけを放棄したもので、自衛戦争は放棄していない」などと、「戦争」を「侵略戦争」と「自衛戦争」とに分けてはいないのです。ただ、「再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」ために、この憲法を創ると述べているのです。このような前文の存在は、忘れてほしくないのです。

 (拙著「新・憲法の心 第15巻 戦争の放棄〈その15〉」から一部抜粋 )


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