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 難民条約に加入しながら、先進国の中で極端に難民認定率が低いといわれている日本にあって(2022年フランス41.3%、日本2%)、その違いの原因は、実ははっきりしている、といわければならない。端的にいって、建前はともかく、人間の尊厳を守り、保護する普遍的な価値よりも、「偽装」を排除したい(あるいはそういう建前で)自国の利益を優先したい発想が強いから、ということになる。

 「難民」に厳しいのではなく、「偽装難民」に厳しく対処したいだけだ、という日本の弁明は、この場合、前記極端な難民認定率の低さを説明することに十分に有効だろうか。日本の難民認定は決して冷淡ではなく、行政が受け入れに予め反対、消極的な姿勢を持っているなどということは決してない、と言ったとしても、疑念を払拭できるとはとても思えない。

 人権保障の観点から、入管行政のあり方が問い直されることが期待されていた入管法改正の大きな焦点が、いつしか送還を拒み、難民申請を繰り返す不当な人々への対策に変ったこと。そして、改正によって、難民申請中の人を送還しない運用は、3回目の申請以降は適用外となることにも、そして、結局、適正手続きの保障の観点で、裁判所などが関与する仕組みが入れられなかったことにも、前記発想は明らかに見てとれる。

 有り体にいえば、どう見ても、「偽装」の排除以前に、できるだけ(定義を狭く解釈してでも)受け入れたくない、というベクトルが、彼らの尊厳をきるだけ守り、保護するというベクトルよりも強いのがこの国の現実であることを、まず認めなければならないはずだ。

 生命や自由を脅かされかねない人々の、本国への送還を禁止する国際法の原則「ノン・ルフールマン原則」が、前記を法改正後の運用によって、脅かされることを指摘する声が早くも出ている。ただ、より現実に則して言えば、前記わが国の対難民への発想が、この国際法の大原則を脅かすことへの危惧を、いともたやすく乗り越えるレベルであったことを、むしろ今回の法改正が示してしまったといってもいいだろう。

 送還しない運用が3回目の申請以降は適用外となるなかで、現状の審査の公正さへの疑義の声もあれば、裁判で不認定が取り消された事例もあることが報告されている。前記原則に反して、送還される恐れは確かに存在しながら、そこに注目しないことによって、それがないことにされている印象すら持ってしまう。万が一にもの視点に当たり前のように立たない現実が、まさに前記発想の裏返しとして存在しているようにしかみえない。

 しかし、我が国で、この現状を支えている大きな要因は、多くの国民の無関心であり、さらにそれを生み出しているメディアの対応だろう。逆にいえば、国民の無関心に対して傍観するメディアがあって、その上に、前記発想の行政の対応がのっかっているといるかもしれない。

 いや、もっといってしまえば、少なくともネットなどの反応をみれば、難民条約の立場以前に、「不当なものは排除されて当然」という、むしろ前記発想だけを見て支持する論調も、この社会には確実に存在している。難民そのものに対する広く、フェアな理解そのものが、国民のなかに決定的に足りていない――。

 そのことがまた、冒頭の難民対応をめぐる、諸外国の現実との歴然たる差異につながっているのではないか、というさらに根本的な問題に突き当たる思いがするのである。



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