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 ウクライナ戦争での核兵器使用が懸念されているなかで、「核」をめぐる現実を被爆者はどのような目線を向けているのかに焦点を当てた朝日新聞のインタビュー(6月5日朝刊、オピニオン面)で、8歳の時に広島で被爆した森重昭氏は、5月に広島で開かれたG7サミットについて、次のような言葉を投げかけている。

 「議長国日本の岸田文雄首相は核を使わせないという話をしたかったんでしょうけれども、戦争当事者のウクライナの大統領を呼んで、戦争を継続するためにもっと弾薬とお金といったものをよこせというような雰囲気で終わってしまったのは残念な気がしました」

 「戦争を助長するために弾薬やお金を渡すのは逆じゃないかと。毎日、ロシアもウクライナもたくさんの人が命を落としているのですから。一日も早くやめさせると言うべきではないかと思います」

 率直に言って、この森氏の言葉が同紙に掲載されたことそのものに、大きな意味を感じた。なぜならば、この視点こそ、ウクライナ戦争について、これまで「朝日」に限らず大手メディアが、おそらく故意に無視、あるいは軽視してきたものに思えたからだ。いやもっと言ってしまえば、彼らの責任もあると思うが、今やわが国国民の多くも、このことを頭の外に置こうとしているようにさえ見えてしまうのである。

 いかにロシアの侵攻が責められるべきであったとしても、領土奪還のために国民を動員し、多くの一般人の犠牲を生むことが確実である、ウクライナによる戦争継続を日本は支援すべきなのか――。まさにこのことに森氏は触れている。そして、このテーマで避けて通れないはずなのが、わが国が憲法9条を有していることのはずだ。

 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」(同条1項)         したはずの国が、まさに領土奪還を戦争によって実現しようとしている国に、それが達成されるまで寄り添うというのは、いくらなんでも矛盾しているとしかいえない。わが国が筋を通して言うべきことは、とにかく両者に一日も早く矛を収めさせる即時停戦のはずである(「『ウクライナ戦争』とわが国で起きていること」「国民の強制動員からみるウクライナ戦争0)。

 「日本はウクライナと共にあります」と題された官邸ホームページは、日本政府がロシアの戦争犯罪を糾弾する言葉ともに、いわゆる人道的支援に含まれるもののみならず、当然にウクライナによる戦争継続に利することになる支援が、当たり前のように列挙され、前記日本の立場をあえて説明・強調するような表現はどこにもない。

 ウクライナの戦いを支援する論調の中には、中国による台湾有事や北朝鮮の動向を引き合いに出して、日本についても「明日は我が身的」な侵略される側の立場を被せ、イメージさせるものがみられる。しかし、それと今回の日本政府の姿勢を合わせて考えてしまうと、もはや日本が侵略される当事国になった場合、武力によって国民の犠牲も、やむを得ないこととして、突き進むところまでは、前記憲法下でも、もはや当然のものとしているようにとれてしまう。

 そして、さらに言えば、そのことを問題視せず、言及もしない大マスコミもまた、もはやそこまでは政府と歩調を合わせているととられても仕方がない。「終戦の日」の8月5日の「朝日」社説は、この戦争でロシア軍と、日中戦争で中国に侵攻した日本軍を被せ、「なぜ、日本はウクライナを支援するのか。自問する際に心に留めておきたい歴史である」などとしている。先の大戦への反省のうえに、至った前記憲法9条の立場について、「心に留めておきたい」とはどこにも書いていない。

 ウクライナ支援で諸外国と一致することや、「反転攻勢」の行方ばかりに注目し、他国がどうであろうと、わが国の立場として「即時停戦」を呼びかけ、戦争を回避させるという立場を鮮明にしない日本政府も大メディアも、さらにいえば、既にこの国に広がりつつあるムードも、もはや前記9条の立場がかすみつつある日本を象徴しているように思えてならない。



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