60期代の弁護士は知らないと思うが、日本司法支援センター(法テラス)が行っている法律扶助事業は、もともと、「財団法人法律扶助協会」という、日弁連が昭和27年に設立した財団法人が担っていた。
弁護士費用が賄えない人に司法サービスを行き渡らせようという理念自体は、法テラスと変わらない。しかし、法律扶助協会は、事実上、弁護士のボランティアで運営されていたものなので、とにかく金がなかった。国の予算の裏付けのある法テラスとは、基盤が全く異なるものだったのだ。
扶助事件を担当する弁護士も、法律扶助で稼ごうというつもりはなく、あくまで社会奉仕のつもりだったので、報酬が安くても、余り文句を言うこともなかった。実際、かつての弁護士会報酬規程に照らし合わせてみれば、法律扶助でもらえる報酬は、恐ろしく安かった。
法テラスと同様、扶助協会も、報酬の審査は弁護士が持ち回りで担当していたが、審査で事案の報告書を見ながら、どうしても、担当した弁護士の労力に見合うだけの報酬を支払ってあげることができず、申し訳ないと思いながら、決裁をするようなケースもまま見受けられたものだ。
こんなことを言うと、マスコミからは贅沢だと怒られそうだが、給料の出るイソ弁ならともかく、自分で事務所を構える弁護士にとって、時間と労力は同じように取られるのに、報酬規程に比べて突出して低い金額しか受け取ることのできない法律扶助事件は、やはり重荷だった。
それでも、社会的に意味のある事業だという信念があったからこそ、弁護士は、報酬が報酬規程より低くても、ボランティアとしての意義を見いだして、それに耐えていたのだ。
それが、司法改革の成果として、法テラスが設立され、国の予算で法律扶助事業が行われることになった。これを聞いたときは、やっと、弁護士も、この分野のボランティアからは解放され、報酬規程並みとはいわないまでも、ある程度事業性が見込めるような制度になるのだろうと、ほっとしたものだ。
しかし、ふたを開けてみると、結局、報酬の水準は以前のままで、項目によって多少の増減はあるものの、とても、自ら事務所を構える弁護士が、法律扶助を経営の基盤とできるようなものには思われなかった。
正直なところ、法テラスもまた、相変わらず、弁護士の自己犠牲の上に初めて成り立つ制度でしかなく、結局長続きしないのではないか、と思ったものだ。
しかし、私の予想は外れ、いま、特に大都市では、法テラスの事件も、半ば取り合いのようになっているという話を聞く。スタッフ弁護士のように、扶助事件を経営の基盤とする弁護士も増えている。現状では、扶助事件の報酬基準を旧弁護士会報酬規程の水準に引き上げるなど、とても言い出せる状況ではないようだ。
それでも、やはり釈然としない。弁護士が職業として関わる制度なのだ。自己犠牲に甘んじていた時代の水準を維持しなければならない理由はない。もちろん、依頼する側からすれば、安ければ安い方がいいのは分かる。しかし、この職業を、ある程度の質を維持しながら営んでいくためには、ある程度の経済的裏付けは必要だし、そこでボランティア精神だけを求められても、困ってしまうのだ。
霞を食って生きてはいけないし、ましてや事務所経営はできないのだから、仮に扶助水準を完全に自由競争に任せたとしたら、今よりはもう少し高いレベルに落ち着くのではないかと思うのだが。